メタ脳化プロジェクト

トラバしてくれたフジキンの学校日記さんの記事からの引用。

トラックバックはネット上に散らばる情報を繋げて体系化するために設計されたという話を読んで、ニューラルネットワークを思い浮かべた。その事に詳しいわけではないから、イメージに過ぎないが。トラックバックシナプス結合で、ひとつひとつのブログがニューロンだ。つまり、ひとつひとつのブログは完結した作品というより、情報の通過点なのだ。

これはオレのイメージしてるものにとても近い。「ニューラルネットワーク」という言葉は初めて聞いたので色々調べてみた。前にid:replicornさんにこのシリーズでのトラバのやり取りを「ブレインストーミング」と言われてこの言葉もその時初めて知った。(いやホントオレは知識、全然ないんだよな〜)
いずれにせよオレが確信的に思っているのはネットの世界は脳に対するメタな構造、あるいは相似形、フラクタル構造になっていくという予測(?)であるので、こういう脳に関する概念はとても興味深い。
で、ネットの世界におけるブログというものを考える時重要だと思っているのは、脳におけるどんな機能と相対的に見る事ができるのか?という視点ではないかと考えている。そこでまず基本的な前提になると思うのは「記憶」である。

〜記憶の過程〜

記憶の過程は、符号化(記銘)、貯蔵(保持)、検索(想起) の3段階に分ける ことができます。

「符号化」とは外部の刺激が持つ情報を意味に変換し記憶として取り込むこと。
「貯蔵」とは符号化したものを保って保存しておくこと。
「検索」とは保存されていた記憶をある期間後に外に表すこと。

これはすごく分かりやすいと思う。基本的にブログには機能として「貯蔵」と「検索」は既に与えられていると思うので、ブロガーの作業は一先ず「符号化」のみだと言える。ただここまではいわゆる「ホームページ」と特に変わるところはないと思う。
とにかく記事を書くにしてもHPを更新するにしてもそこに入力された情報は全て「記憶」として扱っていいと思っている。そしてそこにはどんなものにせよ「意味」はあると考える。
例えば現在あんまり意味がないと思われているものとして「普通の」人の「普通の」日記的なものがあるが、あれは歴史学的にはひょっとすると100年後位にはすごい「意味」のあるものになるかもしれないのだ。というのは歴史学において中々分からないものとして、過去において「普通の」人達がどんな意識で暮らしていたかが分からない、というのがあるのである。ある時代においてあまりにも当たり前な事はそれを残して伝えようという動機に欠ける。結果文献などの資料として殆ど残らない。しかし当たり前な事、常識というのは時代が変わればまったく違ったものになってしまう。だから未来の人が今この時代の「当たり前」を知る貴重な資料になるかもしれないのだ。あの日記郡は。
というわけで今現在意味が無いように見えたってそういう事もありうるので全てのものに意味がある、としてとりあえずいいと思う。だから問題は「価値」付け、あるいは「重み付け」にある。
例えばMyblog japanここを見れば一分間にどれだけの数の記事がネットの世界に入力され「記憶」されているかがおおよそ分かる。全てがここに集まっているわけではないので実際にはこの何倍もあると思われる。これを見てるとオレは何だかめまいがしてくるのだが、とにかく相当な量である。基本的にブログに書いたものは閉鎖してもキャッシュというものとして残るらしいので(いやよくは知らないんだけども)これらの情報は半永久的に記憶される、ようだ。それがこういう勢いで蓄積されていっているのである。
で、こういう状況を踏まえると単に記事を書いただけでは意味はあっても「価値」はない、とオレは思うのである。つまりそのままではちょっと時間が経つとあっという間に無価値なもの、あるいは二度と想起されない記憶、という位置づけになってしまうと予想される。だから次に重要になってくるのは情報に対する価値付け、重み付けになるわけだ。
その一つが「アクセス数」である。というより今のところ価値の基準は殆どこれしかないと思われているふしがある。確かに多くの人が見ているブログや記事ほど価値が大きいというのは間違いとは言えないがオレとしてはこれだけでは不満なのである。そもそもアクセス数というものは全ての人ががんばれば獲得できるというものではない。そこには競争の原理によるピラミッド型のヒエラルキーが必ず確立されてしまうからである。ここの記事で書いた「コウチョウ効果」というのも実はこのアクセス信仰みたいなものに対するアンチテーゼという意味合いがあったりする。(・・・多分)
で、オレがこのアクセス数というものに対するもう一つの価値の基準、情報に対する重み付けになると思っているのが「記事を関連付けさせる事」なのだ。そしてこれがブログのブログたる所以の「トラックバック」の意味であり、面白いところでもあると思っている。弘毅さんが言うようにこれはブログ(とその記事)をニューロンとすればシナプスに相当すると言えそうだが、それによって関連付けられた記事はアクセス数というピラミッド型の縦の軸に対する横の軸となり、それは競争とは無縁であり要はやる気があれば成果があがるものでもある。(もちろん関連付けさせる、つまりトラバを送る事はアクセスUPにも繋がるのだけど)


で、それをやるとどうなるのか?というと正直よくは分からない。
非常に複雑な構造ができあがる。それは脳の構造に酷似している。関連性を考慮した記事はいわば意識レベルに定着した記憶、と言えそうである。それが表すのは「思考」であるのかもしれない。思考とは記憶の操作であるという。「我思う故に我あり」で思う事、考える事ができるのは意識レベルに定着した記憶があるからだ。それが関連性によって繋がっていく事で「思考」になる。そうだとするとそこには「メタ意識」みたいのができるかも・・・とまで考えたら妄想か?
ともかく。
全ての記事を関連付けさせる必要はまったくないし無理である。脳においても入力された情報で定着した記憶として残るのは極わずかなのだから。しかし関連付けさせる必要のある記事というのがあると思うし、そうする事でより意義深くなるのではないかと思う。
そういうわけでこのブログの記事を関連付けさせていく運動(?)を、
〜メタ脳化プロジェクト〜
命名してみる。まぁ特に何するというわけでもないが、この一連の記事はそれを勧めてきたわけで、記事によってはきちんと関連記事を探してトラバするとか、よそのブログの記事のコメント欄などに関連情報を提供するとか、まぁそういう地道な努力をしていくという事になると思う。
それでどうなるのか。未来は分からないから面白い、というしかない。




◆参考テキスト
http://www-kasm.nii.ac.jp/jsai2004_schedule/pdf/000041.pdf(←PDFです)