論理とかコミュニケーションとか

「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ
おもろい。
んでもちょっと色々思うところあり。

結局は、「政治力」という汚いラベルを貼ろうと、「コミュニケーション能力」というこぎれいなラベルを貼ろうと、「それ」の本質が変わるわけじゃない。それは、複雑に絡み合った「利害と感情の構造」を操る能力なんだと思う。

そして、人間の本質とは、「論理の機械」ではなく、「利害と感情の機械」だと思う。

本来「コミュニケーション能力」ってのは、「自分とは異なる考えを如何に理解し、その上で自分の考えを相手に伝え、納得させられるか」どうかであるはずだ。

というのは、間違っていると思う。*2

たとえば、なぜ、自分とは異なる考えを理解しなければならないのか?常にそれは正しいのか?絶対的に正しいのか?その理由はどこから生じているのか?。。。。それを徹底的に突き詰めると、その一切の根拠は、感情と利害の構造から生じる以外には、あり得ないということが分かるのだ。

岡田斗司夫はコミュニケーションとは突き詰めれば洗脳行為でしかありえない、といっていたがここでの「利害と感情の構造を操る能力」というのと意味としては表裏かなと思う。一先ずこれに異論はない。
ただ「自分とは異なる考えを理解」することに価値を見ないで「感情と利害の構造」の方を重視する、あるいはそちらに本質を見るのはどうか、と思った。


>人間の本質とは、「論理の機械」ではなく、「利害と感情の機械」


これは妥当なんだろうか?
人はいかにして他人の欲望や感情を「理解」するのか。それが過去に自らの経験としてあるのなら理解はたやすい。そうであるならそこでの理解とはつまりは自分の欲望であり感情である。おそらくはこういった理解であるなら動物においても可能であるし現に行われていると思う。
だから問題は自分がかつて一度も経験していない欲望や感情である。おそらくそれが理解可能なのは人間だけだろう。じゃあそれはどんな方法によってか? それは論理によって、ではないのか。論理操作能力は自分が持っていない他人の欲望や感情に対する理解を助ける。


ヒトを他の動物と分かつ重要な特徴の一つに個体差の大きさ、というのがある。顔や身体の違いから思想や生活の仕方までとにかくヒトは個体差が激しい。欲望や感情の多様さについても言わずもがな。
集団生活を営むヒトにあってこういった個体差の開きを可能にしているのは論理操作能力による理解力があって初めて成り立っているのであって、これはたぶん鶏と卵である。理解力の向上はそのまま個体差の開きとして表現される、ということはつまり人間は理解すればするほど、その能力が上がれば上がるほど他者との距離はむしろ広がっていくというパラドックス。それが幸せなのか不幸なのか俺は知らないけども、とにかく大枠で見れば人はそういうベクトルを持っている存在だと考えられる。
というわけだから「人間の本質は」という冠で考えるならそれは「論理の機械」の方ではないかと思うのだ。感情はともかくとしても「利害の機械」とはむしろ動物の本質である。もちろん人間も動物のうちであるわけだからそれも前提であるとは思うのだけど。



シマウマとライオン

そこで、シマウマとかライオンをいったん忘れて、生物一般について考えてみる。

そうすると、歯が強く筋力が強靱ということは、一般に、生物にとって「良い」ことであることが分かる。それ自体は、ぜんぜんネガティブではなく、ポジティブなことである。なぜなら、それは生きて、生命を謳歌するのに、プラスとなる要因だからだ。つまり、足が速い、胃が丈夫だ、頭がよい、容姿が美しい、より重いものを持てる、資源を豊富に持つ、というのと同じような、生命にとってのポジティブ要因なのだ。それらは本来は、少ないより多い方がよいものなのだ。

そう考えると、ライオンの価値観というのは、生命を謳歌するためのポジティブ要因を善とする価値観であり、シマウマの価値観というのは、生命を謳歌するためのポジティブ要因を、悪だと考える価値観だということが分かる。

これはどう考えてもおかしい。


>歯が強く筋力が強靱ということは、一般に、生物にとって「良い」ことである


ヒトはライオンに比べて筋力もなく鋭い牙も爪も持っていない。なぜシマウマはライオンを目指さなければならないのか? 進化の世界は何らかの要素を指して「一般にポジティブな意味」とはどうも言えそうにない。のでシマウマがライオンの強靭さを否定しても必ずしも間違いとはいえない。が逆にライオンがシマウマを否定する方には大きな矛盾がある。
草食動物は肉食動物がいなくても生きていくのに困らない。が肉食動物は草食動物なくして生きていくことができない。前に北野武が「自分はライオンだ」というようなことを言っていた。ライオンはシマウマの群れの移動に必死についていかなければいけない。ライオンの行き方を決めてるのはシマウマである、とかなんとか。これが真にライオンたる人の意識なんじゃないかなと。シマウマを否定してはライオンは成り立たないわけだから。




(5)ブログ、セケン、コミュニケーション - ぶろしき
あとコミュニケーションについてはこの辺で書いたんだけど俺はむしろ動機が問題だと思うなー
最近ここの下の方で読める斉藤環氏の連載『生き延びるためのラカン』っていうの読んで知った「欲望とは他者の欲望である」という言葉。これがちょっと引っ掛かってるんだけど・・・