多義的な義

『「義」の字は「我」と「羊」である。「羊」とは「美」と同義である。ゆえに、「義」とは「我を美しゅうする」との意となる。

繰り返す。「義」とは、正に「己にとって美しく生きる」ということなのである。』


義風堂々2」(原哲夫・堀信彦・武村勇治、2009、新潮社)
http://ameblo.jp/agathon-consulting/entry-11421997265.html


義は「義(ただ)しい)と訓読みされる。
「正義」はだから同じ意味を重ねた言葉になる。
一方原義、教義、定義、などは原理、教理、定理におおむね置換可能。
なので「義理」もまた似たようなものと考えられる。
義理の母、などの表現が典型だが本当の母親でなく社会的に母と見なされているに過ぎない。そこで期待されているのは同じような振る舞いであって、本物の愛情まで期待されているわけではない。そういう意味で義理チョコとは中々うまい表現だ。
今では大体めんどくさいものの象徴だろう。オレの母親は70過ぎているがとっくに年賀状など辞めてしまった。どうしても必要なら仕方なくやる。義理を果たすのは嫌々する義務と成り下がった。
大戦後、様々なかたちで当時の本音が語られた。負けると思っていたとか、特攻隊も本当は嫌だったのだとか。そこからなぜ負けると分かっていた戦争に突き進んでいったのか、と問う形になったりするが特におかしなことだとは思えない。本音と建前を分けること、精神(内容)と肉体(行為)が食い違うことは日本人にとっては自然なことだ。


ところでプラトンアリストテレスの時代の古代ギリシア人にはこの種の分裂がまったくなかったらしい。

肉体賛美の源流は言わずもがな、真・善・美を追い求めた古代ギリシアにさかのぼります。
肉体(外面)の美しさは精神(内面)の美しさであり、また精神の美しさは肉体の美しさとされていました。
つまり内と外が分裂していないのです。
悲しいのに笑う、などという私たちの生活上あたりまえのことは、彼らにとっては理解できないに違いありません。
彼らは悲しみを感じたとき、自らの衣服を引き裂き、自らの身体を叩き、またあるときには灰を被ったりもしました。
内面の痛みは、かならず外面にあらわされたのです。
〜中略〜
ゲーテ古代ギリシア人についてこう述べています。
「自己が世界と一つであることを自覚し、したがって客観的な外界を人間の内的世界に対立する異質なものとして感じることなく、むしろこの外界のうちに自分自身の感情に相応する原像を認識する分裂を知らぬ人間」
日本美学研究所 『日本と西洋の肉体表象』ヌードが生まれた理由

ゲーテがそう評していたということは西欧人にとってもそれは異質なものなのだった。
アリストテレスの考えを読んでいて、うまいこと神を持ち出さずに説明してるなと思ってたんだけど、そもそも当時は一神教が蔓延する以前であり、そんな発想自体がなかったのである。その代わりに「哲学」があるが、それはあくまで人間の究極であり、最終であったり人間にとっての現実が問題となっている。
逆に言えば一神教の発想から生み出される「唯一客観的な現実」が出てきた時に、西欧人も分裂したのかもしれない。
内と外が分裂していないということは外がないことを意味している。



蘇るイデア論

アリストテレスが師事していたのはプラトンであるが、その中心的なアイディアである「イデア」の現代的、ないし科学的意味はよく分かると思う。
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/kieru.html
それは錯視で知られることになった脳の機能だ。脳は入ってきた情報(入力)以上のものを現実として再構成している。実際に見ている視点から離れた周縁の景色は記憶や推察などから再構成され貼り付けられている。
面白いのは線の長さや色などが違って見えるのも、それが同じであるといくら理解したところで同じようには見えない、コントロールできないことだろう。無意識的かつ自律的な解釈なのである。
しかしそれらが「同じ」長さや色である、という物差しは客観的現実に相応しているが、それが正しいとは限らない。例えば色についてはクオリアの問題もあって、ある色をそれぞれの人がどのように感じているかは不明で、要するにそれぞれの色の間の関係性や区別がつけば問題はない。色の錯視はこのような関係性を利用しており、それを同じ色だとする視点には意味が無く、自分が見ているその間に違いを見てとる現実のほうが正しい、とがんばることはできる。つまり人間にとっての現実とはその中で生きるべき意味を持ったものでなければならず、そういった意味の失われた客観的現実はとりあえず関係がない、と。
イデアは明らかに脳が機能として持つこの補足的、理想的な自律的解釈機能をその源泉としている。あらゆるものにイデアがある、のでなくあらゆるものにイデアを見てしまう、といった方が正確だろう。最もコントロールできないので意識から見れば同じことかもしれないけども。
なぜイデアがあるかについてプラトンは天界でうんぬんと宗教的物語で説明したが、現代なら根拠は脳に求めることができる。そしてそこには人間的意味があらかじめ内包されていると見るべきだろう。



社会的義、宗教的義、日本的義

以下ウィキぺディアより。

儒教における義は、儒教の主要な思想であり、五常(仁・義・礼・智・信)のひとつである。正しい行いを守ることであり、人間の欲望を追求する「利」と対立する概念として考えられた(義利の辨)。孟子は羞悪の心が義の端であると説いた。羞悪の心とは、悪すなわちわるく・劣り・欠け、あるいはほしいままに振舞う心性を羞(は)じる心のこと。

キリスト教における義という訳語は、ギリシア語でΔικαιοσυνη dikaiosynee ディカイオシュネーと呼ばれるもので、罪の対立概念とされる。これは他者に対して義(ただ)しい、誠実な、偽りのない態度で臨むこと、またそのような態度が可能である魂の状態をいう。義しい人を義人と呼ぶ。
福音書パウロ書簡などで主題化される。
神によって「義とされる」(義とする:ディカイオオー)ことも同じ問題圏に属する。
真に義であるのは神のみである(「義人はいない」)が、人間は神を信じることにおいて義さに近づくことができる。信じないことは不義と同義であるとされる。『ヤコブの手紙』によれば義しさは、神への信仰を表明することのみならず、他の人間に対する行為において現れる。
ルターは人が行動において義とされること(行為義認)を否定し、信仰によってのみ人が義とされる(信仰義認)と考え、それまでのキリスト教で行われていた苦行、断食などを否定した。

日本での義の元は儒教であるが、キリスト教の教義にも義と翻訳される概念が存在する。それは元々ギリシア語で「ディカイオシュネー」と呼ばれるものでどうやらそれはプラトンが重要視した概念であるようだ。
ということでなぜか奇妙に話は繋がった。がだいぶややこしい。
とりあえず「利」に対立するか「罪」に対立するかの違いがあるが、共通点を見るならば非常に禁欲的だということだろう。人間が自然に持っている欲望と対立する時に始めて「義」は立ち上がる。それは内と外の分裂に他ならない。宗教的なルールか社会的ルールかはともかく、それによって正義とされているものを己の欲望に逆らって行為されることによって義は貫徹される。
孟子の言っていることも中々面白い。「悪すなわちわるく・劣り・欠け、あるいはほしいままに振舞う心性を羞(は)じる心」が義の生じる原因であると。特に「劣り」「欠け」は現代的イデア論の立場からよく理解できる。人間が理想状態を構成せざるを得ないからこそそれが見につき鼻につく。そして「羞じる」とは一種の美意識である。
義の字義には羊=シンメトリーな唯一の動物を表す字があり、そこに「美」という意味が予め備わっている。儒教でもキリスト教でも美意識は前面にはまったくでてこないが、日本的義を考えるにおいては美意識と切り離すことはできない。
アリストテレスは政治に関わるものとして「真・善・美」のうちの「善」に最も価値を置いたが、日本的にはそこにかなりの割合で「美」が関わっているということになる。

またギリシアでは、美と善とは合して、「美にして善なるもの」kalokagathonという合成語となり、自然的、社会的、倫理的な卓越性をさすことばであった。
https://kotobank.jp/word/%E7%9C%9F%E5%96%84%E7%BE%8E-538151

ただしその合一は決して評価されているとは言いがたい。
戦争(政治)に美意識など持ち込んだことは敗因であり、本来徹底的な合理性(真)によって行われるべき(戦争をしないという判断も含めて)であった、というのが日本の敗戦へのおおよその統一見解である。付け加えるなら日本軍の行った様々な「悪」は徹底的に糾弾されている。まぁこれは勝てば官軍に過ぎないと思うけども、一応「善」も問題化されており、つまりより善くなされるべきだったという反省もあるだろう。
が、より美しく為されるべきだったとは誰も考えていない。
戦後最もその価値が低落し抑圧されている感性が「美」であるのは間違いないだろう。



日本的美

それを主題化した作家が太宰治三島由紀夫だろう。
一方はいかにも女々しく一方はいかにも男らしく二人はとても対照的だ。

三島:私は太宰とますます対照的な方向に向かっているようなわけですけど,おそらくどこか自分の根底に太宰と触れるところがあるからだろうと思う。だからこそ反発するし,だからこそ逆の方に行くのでしょうね。おそらくそうかもしれません。
http://lfk.hatenablog.com/entry/20070225/1172382313


もっとも太宰治は好きでなく三島由紀夫に至っては読んでもいないので残念ながらたいしたことは言えない。
とりあえず名文として名高い『斜陽』の導入部分、貴族的理想像としての「お母さま」の描写を以下長くなるが引用。

 朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
 と幽かすかな叫び声をお挙げになった。
「髪の毛?」
 スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
「いいえ」
 お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた。ヒラリ、という形容は、お母さまの場合、決して誇張では無い。婦人雑誌などに出ているお食事のいただき方などとは、てんでまるで、違っていらっしゃる。弟の直治なおじがいつか、お酒を飲みながら、姉の私に向ってこう言った事がある。
爵位しゃくいがあるから、貴族だというわけにはいかないんだぜ。爵位が無くても、天爵というものを持っている立派な貴族のひともあるし、おれたちのように爵位だけは持っていても、貴族どころか、賤民せんみんにちかいのもいる。岩島なんてのは(と直治の学友の伯爵のお名前を挙げて)あんなのは、まったく、新宿の遊廓ゆうかくの客引き番頭よりも、もっとげびてる感じじゃねえか。こないだも、柳井やない(と、やはり弟の学友で、子爵の御次男のかたのお名前を挙げて)の兄貴の結婚式に、あんちきしょう、タキシイドなんか着て、なんだってまた、タキシイドなんかを着て来る必要があるんだ、それはまあいいとして、テーブルスピーチの時に、あの野郎、ゴザイマスルという不可思議な言葉をつかったのには、げっとなった。気取るという事は、上品という事と、ぜんぜん無関係なあさましい虚勢だ。高等御おん下宿と書いてある看板が本郷あたりによくあったものだけれども、じっさい華族なんてものの大部分は、高等御乞食おんこじきとでもいったようなものなんだ。しんの貴族は、あんな岩島みたいな下手な気取りかたなんか、しやしないよ。おれたちの一族でも、ほんものの貴族は、まあ、ママくらいのものだろう。あれは、ほんものだよ。かなわねえところがある」
 スウプのいただきかたにしても、私たちなら、お皿さらの上にすこしうつむき、そうしてスプウンを横に持ってスウプを掬すくい、スプウンを横にしたまま口元に運んでいただくのだけれども、お母さまは左手のお指を軽くテーブルの縁ふちにかけて、上体をかがめる事も無く、お顔をしゃんと挙げて、お皿をろくに見もせずスプウンを横にしてさっと掬って、それから、燕つばめのように、とでも形容したいくらいに軽く鮮やかにスプウンをお口と直角になるように持ち運んで、スプウンの尖端せんたんから、スウプをお唇のあいだに流し込むのである。そうして、無心そうにあちこち傍見わきみなどなさりながら、ひらりひらりと、まるで小さな翼のようにスプウンをあつかい、スウプを一滴もおこぼしになる事も無いし、吸う音もお皿の音も、ちっともお立てにならぬのだ。それは所謂いわゆる正式礼法にかなったいただき方では無いかも知れないけれども、私の目には、とても可愛かわいらしく、それこそほんものみたいに見える。また、事実、お飲物は、口に流し込むようにしていただいたほうが、不思議なくらいにおいしいものだ。けれども、私は直治の言うような高等御乞食なのだから、お母さまのようにあんなに軽く無雑作むぞうさにスプウンをあやつる事が出来ず、仕方なく、あきらめて、お皿の上にうつむき、所謂正式礼法どおりの陰気ないただき方をしているのである。
 スウプに限らず、お母さまの食事のいただき方は、頗すこぶる礼法にはずれている。お肉が出ると、ナイフとフオクで、さっさと全部小さく切りわけてしまって、それからナイフを捨て、フオクを右手に持ちかえ、その一きれ一きれをフオクに刺してゆっくり楽しそうに召し上がっていらっしゃる。また、骨つきのチキンなど、私たちがお皿を鳴らさずに骨から肉を切りはなすのに苦心している時、お母さまは、平気でひょいと指先で骨のところをつまんで持ち上げ、お口で骨と肉をはなして澄ましていらっしゃる。そんな野蛮な仕草も、お母さまがなさると、可愛らしいばかりか、へんにエロチックにさえ見えるのだから、さすがにほんものは違ったものである。骨つきのチキンの場合だけでなく、お母さまは、ランチのお菜さいのハムやソセージなども、ひょいと指先でつまんで召し上る事さえ時たまある。

ここで描写された「お母さま」の所作は孔子の理想とする『心の欲するところに従えども矩(のり)をこえず』にふさわしいとすら言える。完全な徳性というものを体現しており、そして可憐で美しい。
『斜陽』はこのような美しさをもったものが時代の必然によって破滅していくさまを描いたものだが、偶然かいなか、もし現代においてこのような貴族的美しさを備えている人が存在するかを考えた時、たった一人だけ思い浮かぶ人がいてそれは美智子様なのだよね。どういうわけかそれは「女」なのだ。
そもそも世界最古の小説とも言われる『源氏物語』が女の手になり、かつ主題が真でも善でもなく「美」であるということからしても推して知るべし。
日本的美とはかなり女々しいものなのである。