前回記事の補習

前回トラバ送らせていただいたid:gachapinfanさんから山岸俊男なる人物を教えてもらった・・・いやもの凄く興味深い人です。「信頼社会」って何となくのイメージだったけどオレの勘も中々鋭いな〜と自画自賛。ちょっと今検索して色々読んでるんでとりあえずメモ。




山岸俊男ホームページ
論文とか色々載ってます。専門的な用語が多くて難解だけど安心と信頼の違いなどによる「信頼」という言葉の定義が凄く興味深かった。日本が安心社会、アメリカが信頼社会というそれまでの常識を覆す見なしも面白い・・・が、これからはアメリカ型信頼社会を目指そう、という結論には全く納得できない。直感的にもアメリカの信頼社会とは訴訟社会、銃社会というものと分かち難く結びついていると感じる。だから当然そこで考えるべきは「日本型信頼社会の構築」、なはず。でなければアピールするはずがない。そうだとするといわゆる日本的「世間」からの系統発生というのが重要になりそう・・・でもって岡田斗司夫の洗脳社会といったいどう結びつくのか。おそらく表裏の関係になるのではないかと思う。
オレが「洗脳」という言葉に引っ掛かるのはこれが一方通行の影響力というイメージが強いからだ。その点「信頼」という言葉には「相互作用」の意味合いが含まれているように感じる。
洗脳はおそらくその人に対する信頼が大きいほど強いものになる。一方信頼されている人にはその「信頼されている」という事実がある種のプレッシャーとして働く。人には信頼されればその期待に答えようとする心理があり、「燃え尽き症候群」の例はそれによって引き起こされるのだと思われる。つまり「信頼」はけっして一方通行の影響力とはならない。信頼する方にもされる方にもなんらかの”力”が働く。それが、いい。全ての力は相互作用として働く、というのは物理学の結論でもあるから。




ほぼ日刊イトイ新聞−信頼の時代を語る。山岸俊男さんの研究を学ぼう。
さすが糸井重里だな〜。もう既にアンテナに引っ掛かっていたとは。やっぱり「信頼」は今後重要なキーワードになるのは間違いなさそう。




インターネット時代における「人間格付け」の一般理論、への、前哨的試論
面白い。”徳”の概念とか”儒教”を未来社会のモデルとして想定している。岡田斗司夫も『マルチメディア中世』と表現していたが、歴史は多分、繰り返す。切込隊長という人には「徳性」といってもいいようなものを感じるし・・・




國領研究室のホームページ 『信頼の構造−こころと社会の進化ゲーム』
インターネットと「信頼社会」


解説、書評的なもので分かりやすかったやつ。信頼が重要になるのはやはりインターネットにおいてだろう。名前も顔も知らない人同士がどういう風に繋がり協力する事ができるのかといえば、それは最終的には信頼によるしかない。どうすれば信頼できるのか?


「人は信じる事から始めんといかん。国を動かすにしても、そうぜよ。まずは相手を信じる。それからじゃき。」
「それで裏切られた時には、自分に見る目が無かったという事ぜよ。」


上はある人に教わった坂本竜馬のセリフ。これを思い出した。