2015-01-01から1年間の記事一覧

死刑と島流し

死刑反対論の根拠としてよく言われるのは冤罪の可能性で、死刑にしてしまえば取り返しがつかない。人間のやることだから間違いは必ず生じる。 だけど、死が取り返しがつかないことなので何も決定できないとなったら、例えば延命治療の中断や選択もできなくな…

00才からのベーシックインカム

社会の制度的コストを削減するというベーシックインカムの前提からは外れるが、特定の人たちに限って適用することを考えたほうが、日本ほどの高福祉社会ではまだしも現実的だと思う。財源も全員として試算すると無理があるみたいだし。 まず高齢者に限って年…

水論

人体のおよそ60%は水からできている。 胎児では90%に及び、以降一貫して減っていき老人では50%に至るが、生まれた瞬間から減るものとしては他に脳神経細胞が知られている。 3大死因の内ガンを除く心疾患、脳血管疾患とは水が行き渡らなくなること…

義と儀と議と蟻

『敵に塩を送る』という有名な言葉がある。 いまさら説明するまでもないが、上杉謙信が宿敵、 武田信玄に次のような書状を送ったと伝えられている。「聞く北条氏、公を苦しむるに塩をもってすと、 これきわめて卑劣なる行為なり、我の公と争うところは、 弓…

続・「空気」の研究

登場するのは明治期を代表する法制官僚・井上毅である。井上による明治憲法草案の第一条は「日本帝国は万世一系の天皇のしらすところなり」だった。この“しらす”という古語を漢語的表現の“統治”にかえて「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」という条文…

多義的な義

『「義」の字は「我」と「羊」である。「羊」とは「美」と同義である。ゆえに、「義」とは「我を美しゅうする」との意となる。繰り返す。「義」とは、正に「己にとって美しく生きる」ということなのである。』 「義風堂々2」(原哲夫・堀信彦・武村勇治、20…

儒教と道教

アラスデア・マッキンタイアは『美徳なき時代』でそうした「不一致」をおおよそ次のように分析する。 マッキンタイアによれば、私たちが実際に住んでいる世界の道徳言語は無秩序に陥っている。伝統的道徳概念の断片を寄せ集めたにすぎないものを各々が手に取…

人はなぜ山に登るのか

「そこに山があるからだ」 と登山家が答えたという話はあまりにも有名。 これが名言として名高いのは、それ(ここでは山に登ること)が他の何者にもよらずそれ自身として価値があることを、極めて簡潔に言い表すことに成功したからだろう。 『二コマコス倫理…

(3)人間にとっての温度とは何か

http://matome.naver.jp/odai/2139987707849953901 お前ら「温度」って何かきちんと説明できるの? http://homepage3.nifty.com/iromono/PhysTips/maxtemp.html 温度とは何か:負の絶対温度をめぐる疑問など - Active Galactic : 11次元と自然科学と拷問的日…

(2)文化人類学的の不能

こないだテレビ観てたらなぜか放送大学でチャンネルが止まって、それが文化人類学の講義だった。 インディアンの古老に話を聞きにいった様子が映し出され、やはりというかなんというかホントに好きだね。インディアンの古老が。 それで食べているプロの古老…

(1)哲学的問題

http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/skondo/saibokogaku/kairoudouketsu.html 哲学は非常に難解であるにも関わらず、なんとか理解してようやく辿りついた結論らしきものはたいてい「当たり前」なものでしかない。これはもうすでに哲学的結論を前提にした世界…

喫煙とオナ・・・

http://cruel.hatenablog.com/entry/20140620/1403251945 おれは喫煙者なのであんまり言いたくないが、喫煙とオナニーは似ている。 大人のおしゃぶりという話もあるがまぁ同じようなもんだ。 大体今は動画派が多いのでその限りではないが、かつてのオナニー…

数についてのあれこれ

リンゴがテーブルにいくつか転がっているのを数えるとする。 1、2、3・・・ この時リンゴはすでに数え終わったもの、現に今指差し数えてるもの、これから数えるものに分けられ、それぞれは過去、現在、未来に対応する。 耳で聞き取る音には時間の流れの概…

数と言語

「神は細部に宿る」の出典はよくわからず最初に誰が言い出したかはわからないようだ。 一応建築デザインの世界の言葉としてでてきたのが有名になったきっかけらしい。 http://okwave.jp/qa/q4385241.html 昔からオレは細かいことが気にならないタチで大体物…

「疑似科学」という批判は科学の敗北である

なぜかブログが書きたくなったので唐突に。 「疑似科学」を科学の側が対象を批判する目的で使うのは間違っている。 対象ないし現象について科学が取るべき立場は、それが科学のどの分野に相当するかを適切にカテゴライズすることであって批判することではな…