喫煙とオナ・・・

http://cruel.hatenablog.com/entry/20140620/1403251945


おれは喫煙者なのであんまり言いたくないが、喫煙とオナニーは似ている。
大人のおしゃぶりという話もあるがまぁ同じようなもんだ。
大体今は動画派が多いのでその限りではないが、かつてのオナニーには大きな想像力、シミュレーション能力、物語性が必要だった。
同じ能力を最大限に発揮させるべき作家にヘビースモーカーが多い(かった)というのは、手段と目的の違い。
メンソールを吸うとインポになる、は都市伝説らしいが、すっきりする快感に近いものがあるのは事実。
今では人目に隠れてこそこそ吸うようになったのでなおさら似てきている。


どちらも別にやらなくてもいい無益な行為である点に違いはない。
逆に言うと、禁止された時に反論する材料に乏しい。
ロリコン規制への反対派のように、禁止すれば性犯罪が増える、という主張は成り立ちそうではあるが、堂々と主張できるたぐいのものではない。男の原罪を認めるに等しいのでより白い目で見られることになる。
タバコに依存し中毒するのも、ポルノが無ければ自制できない意思の弱さも人間の弱さに違いはないので、規制派に対して共闘できそうなもんだが、おそらく一緒にされたら互いに怒り出すだろう。あんなもんと一緒にするなと。思うに層が違いすぎる。




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世はクレーマー社会ではあり、典型は学校と病院だろう。
医師は大きな訴訟リスクと戦わざるをえない。人はもはや自然には死なず、どんな死であろうとも誰かがどうにかすれば助かった命なのだ。
そうして最終的にはチューブを抜くかどうかという恐るべき決断が家族に託されることになってしまう。
学校で怪我をすれば、誰がやったかが問題にされ、不行届きで先生が糾弾され、怪我をするような遊具が悪者にされる。
かといって黙っているといつの間にか自分の責任にされかねないので、油断ならない。
一応責任は上に上に行くという法則もあるが、さしたる反論ができないところにも行き着く。


この責任を巡るゲームに有効な方法はどういうものだろうか。
一つは事なかれ主義を貫き、黙って騒がず、周囲に影響力を及ぼさなければ責任が巡ってくることもない。
ゲームに適性があれば、どんどん主張し責任を跳ね返し自己を拡大していくことも可能。
別にこれは今に始まったことでなく、いつでも有効な方法だ。
後は坊主に供養してもらうか、神主にお払いしてもらうかして責任(穢れ)そのものを天に返すというのもあるが、最近は流行らない。
「水に流す」ための振る舞いとしてネットに放り込むという手がちょっと前まではあった気がするが、最近は輪廻して現実にまた返ってきかねないので安易にはできなくなった。


かくしてそれはどこにもいかずぐるぐる廻って吹き溜まり、ふとしたきっかけで、そして予想外の場所で火山のように暴発するが、富士山を信仰する日本人なら別に驚くに値しないのかもしれない。