ぼくたちの「信頼」社会

前回の続き・・・


え〜前回の記事のコメント欄で「岡田さん」から引用の許可をいただきましたんで(笑)おさらい的意味も込めてビシバシ引用していこうと思います。
まず『ぼくたちの洗脳社会』の内容のもう少し突っ込んだ解説から。


現代はパラダイムシフトの時代である。パラダイムとは『社会を構成している基本的な価値観』という意味で「パラダイムシフト」とはその基本的な価値観が大きく変化する事。
岡田斗司夫は現在がパラダイムシフトの時代である事を予言した未来学者アルビン・トフラー『第三の波』、堺屋太一『知価革命』を踏まえた上で来るべき新しいパラダイムを「自由洗脳競争社会」と定義した。これは近代のパラダイムが「自由経済競争社会」である事に対する造語。
以下引用。

「今、訪れつつある新社会。それを『洗脳社会』と呼ぶ。
 自由経済競争社会とは、社会の構成員が、その最大の経済的利益に向かって邁進することによって安定する『動的安定社会』である。
 それと同じく、自由洗脳競争社会とは、社会の構成員が、その最大洗脳的利益に邁進することによって安定する『動的安定社会』である。

という事になる。(ちなみに前回言ったようにこの「洗脳」という言葉は非常に誤解を受けやすい言葉で難義する。オレはこの言葉は「信頼」という言葉に置き換えた方が意味が通じやすいんじゃないかと思っているので以下「洗脳」となっている所を「信頼」と脳内変換してみてもいいかもしれません。もし引っ掛かるようなら、ですけど)
でこの「自由洗脳競争社会」という新しいパラダイムの具体的イメージ、雛型となるのがブログである、というのが前回の結論。それをよく表していると思う文章をもう一つ引用。

「高度情報社会とは、情報の数が増えるのではなく、一つの情報に対する解釈が無限に流通する社会である」

どうだろうか?この短い文章は「ブログ界」というものを説明する極めて的確な表現と言えるんじゃないだろうか。何度も言うがこれが10年前に書かれた書物の中の文章である。


で、今回ちょっとこの本を踏まえて、ブログ界でかなり話題になったある事件をテキストにして分析してみようと思う。
それはあの「いい女塾」ブログ論争である。・・・って知らない人もいると思うんで下がまとめです。

ここで大体の経緯は分かると思う。そこに付いているトラバの数を見ればこれがもう相当ネタにされているという事も分かるだろう。
オレはこの問題に対する「解釈」をざっと読んだだけで元ネタは見てないので勘違いもあるかもしれないがまずざっくりと経緯を説明する。

  1. まず「普通の」女子大生二人組みが絶大な人気を誇り多くの人々の共感を呼んでいるブログを運営していた。
  2. 元々期間限定だったためそれが終了。
  3. その翌日「いい女塾」という企業がらみの企画の商用宣伝をした。
  4. それ以降それまで彼女達を応援し共感していた読者からの批判バッシングが増え始めた。
  5. その経緯があるブログでまとめられた。
  6. それ以降この論争に対して「いったい何が問題なのか?という問題」を色々な人が考察している。

まぁ大体こんな感じ、だと思う。ではこれを『ぼくたちの洗脳社会』における次の文章を元に読み解いてみる。

「マルチメディアの発達によって、歴史上初めてすべての人々が被洗脳者から洗脳者になるチャンスを与えられるようになる。それによって自由洗脳競争が始まる。
 人々のニーズをつかみ、もっとも効率よくそれを生産して販売することによって多くの富を得られるのが、自由経済競争社会。それに対し、人々の不安や不満をつかみ、もっとも効率よくそれを解消する方法を提案することによって、多くの尊敬と賞賛を得られるのが自由洗脳競争社会。得られる利益は経済利潤ではなく、洗脳利潤、つまりイメージである」
 これが「洗脳社会」「自由洗脳競争」の定義です。

  1. まず彼女たちは「普通の」女子大生としてたくさんの人達の共感、共鳴を集める事に成功し、大きな『洗脳利潤』つまり好意的で有効な『イメージ』を獲得していた。
  2. 元々期間限定だったためそれが終了。ちなみにこの時期どうやら彼女たちは就職活動を始めていたようである。つまり大学生から「社会人」になる節目にあたる時期でもあったのだ。
  3. そして「いい女塾」という企業絡みの企画をスタートさせる。そこでどうやら彼女たちは獲得した『洗脳利潤』有効な『イメージ』をお金に変える道を模索しだした、ようである。つまり『洗脳利潤』から『経済利潤』を求める方向にシフトした。
  4. それに対して彼女たちの支持者だった人達が反発。それはブログ界パラダイム、基本的な価値観は既に『自由洗脳競争社会』という新しい価値観に移行していた為、『経済利潤』を求め始めた彼女たちに失望したから、だと思われる。
  5. その経緯があるブログでまとめられる。
  6. それがブロガー達の関心を集めたのはある意味当然である。いったい何が問題なのか?は非常に重要な問題である。この問題の本質は、古いパラダイムである『自由経済競争社会』と新しいパラダイムである『自由洗脳競争社会』との相克、にあるからだ。


これがこの問題に対する最もマクロな視点になるとオレは考えているがどうだろうか?
オレは基本的に滅多な事では正しいとか間違っているとかの価値判断はしない。だから彼女たちの行動も悪いとか言うつもりはない。現世におけるパラダイムがまだまだ「自由経済競争社会」である以上「社会人になる」という事の意味するものは、経済利潤を求める事を最大の価値とする、という事だ。従ってそれが悪い事であるはずがない。むしろ推奨されてしかるべきだ。(ひきこもりのオレが言うのも何だが・・・)
しかし「ブログ界」のパラダイムは現世とは全く違う新しいパラダイム「自由洗脳競争社会」に既に移行しつつある。この世界においては洗脳利潤(・・・やっぱり「信頼」にして欲しいな〜)より経済利潤を優先する行為はもっとも卑しむべき行為、となってしまうのだ。その事による大幅なイメージダウン、つまり洗脳利潤の大きな損失は避けられない、という事になる。


そしてこういった問題は今後も次々に起こる事が予想される。今はパラダイムシフトの過渡期、そのど真ん中に位置しているからである。だとしたらこの問題から我々ブロガーが学べる事は何だろうか?
「洗脳利潤」がいくらあったってこれで飯を食えるわけではない。ブログが金持ちの道楽でないとしたら、今後経済利潤と何らかの形で結びつく可能性は十分にある。しかしその時注意しなければならないのは経済利潤はあくまで洗脳利潤・・・いや「信頼」利潤に付随するもの、従属するものでなければならない。もし経済利潤を優先するなら築き上げた「信頼」を大きく損なう事を覚悟すべし。・・・という事になりそうである。




というわけで『ぼくたちの洗脳社会』という本がいかに今日を正確に予測していたか、というのがこれで分かってもらえただろうか?(不安)
当時は誰もイメージする事さえ出来なかった未来の世界が今こうして現実のものとなっているのである。最後にもう一回言っておく事にする。


岡田斗司夫、恐るべし!




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