空気的決定は匿名でやるべし

色々興味深かった。
市民ジャーナリズムだから、という範囲でなくネットコミュニティとしてどうあるべきかという話の部分。
しかし佐々木氏のこういう内部の話をおもしろく書くセンスはすごくいいなと思う。そもそもなんでオーマイニュースは内部に匿名的な存在を取り込んでいたのかという。実名的なものと匿名的(もしくは無名的)なものの間の軋轢というかイザコザというのは今の日本のネット世界に普遍的な問題であって、でそれと似たような構造を取ったというのはこういう風に内部での色々な問題が多くの人の興味を惹く普遍的な事象になりうるから、じゃあなかったのだろうか。
少なくとも佐々木氏はそういう読みがあって書いているような感じがヒシヒシと。
まぁオピニオンって制度があることも知らなかったぐらいなのでよく分からないけど特に戦略的なものがあったわけじゃないのかもしれない。
でも上のエントリはたくさん言及、ブクマもされてそれに成功してる感じなのでもったいない気がちょっとする。


http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/11/post_9.html

ネットのメディアが「場」であるとすれば、その場には漠然とした空気が作られていく。掲示板やブログコメント欄などで書かれる「空気読め」というのが、その空気に最も近いものかもしれない。かりにその場で醸成された「空気」が、オピニオン会員の廃止の方向へと集約されていくのであれば、それはそれで構わない。つまりは主導権はユーザーの側にあるのであって、運営側にはない。このあたりの「主権」をどう見るかが、実のところ、ネットコミュニティではもっとも重要な概念なのだ。

あとこの辺の空気への信頼感はちょっと気になるところ。山本七平的に。
主導権を与えるかどうかは運営者が決めるんだから「主権」はないんじゃないかな。やっぱり。
そして空気的決定でオールオッケーなところってあえて言えば2ちゃんねるぐらいしかない。
そしてそれが成り立っているのはおそらくそこが匿名的空間であるゆえ。大勢が決定した後、それまで空気を作るのにどんな発言活動があってもリセットされているので容易に意見を変えることができる。反対の決定がされても問題なくそれに乗れる。過去の発言を参照されないからこそメンツがつぶれたりしないで意見を出し尽くせる、という仕掛け。
もし実名的な世界でそれをやると何か決定がされるたびにユーザーが減っていくということになる可能性が高い。
空気的な決定は匿名でやってこそメリットのある話なんではないだろか。