サヨク思想の正体

前回の記事の続き・・・


サヨク思想(近代的西洋思想)の転換〜

  1. 少数の支配者(強者)に対する多数の被支配者(弱者)による革命。多数派(マジョリティ)の誕生?
  2. 民主主義、社会主義などの近代的思想の発生。
  3. 東西冷戦の終結で資本主義、共産主義に勝利。
  4. その間に多数の被支配者(弱者)だった者も権利の向上などによってもはや弱者とは言えない存在に。
  5. その過渡期のどこかの地点で「弱者としての少数派(マイノリティ)」探しが始まった。その目的は「強者としての多数派(新マジョリティ)」の維持?

以上がオレが今のところ考えているおおよそのストーリーです。ホントにおおよそですけど。あんまりちゃんと「勉強」してないので言葉遣いとか色々間違ってる可能性大ですが、その辺はコメント欄ででも指摘してもらえればありがたいです。で、重要なとこ補足しときます。


■タイトルの「サヨク思想(近代的西洋思想)」は特殊な定義です。普通この二つはイコールになりませんが当ブログではカタカナ「サヨク」は近代的な思想全般を指す、事にしました。自分のブログなんだからある程度勝手に定義していいんじゃないかな〜と思うんでそういう事にします。なぜならば・・・分類とは思想の表明なのだから。

■1が全ての前提になる近代的思想の基本になるものと思われる構図です。ここで最も重要だと思うのが「多数派(マジョリティ)の誕生」。
基本的に少数派-多数派という分類は相互に補完的なものであり少数派があるからこそ多数派があり、また多数派があるからこそ少数派が存在できる・・・とちょっと前までは思っていた。しかしネットサーフィン中に(元)登校拒否系というブログで「マジョリティのアイデンティティがマイノリティを前提としている」という文章を読んだ時何かピンとくるものがあって、ちょっと考えが変わった。
最初にまず少数派が「発見」されるのではないのか?少数の支配者である強者を敵として「発見」した時、そこで多数の被支配者の弱者である「私たち」が初めて意識化される。ここで多数派(マジョリティ)というものが形成されたのではないのか。これがマイノリティとマジョリティの成り立ちであり、同時に近代の始まりになる。

■2と3はまぁ色々あったね、という事ですっ飛ばします(笑)正直詳しいとこは書けない。とにかく多数派の被支配者だった側が少しづつ権利を獲得していき力をつけていく。当然少数派の支配者だった側の権力は相対的に弱くなっていく。
そして4でもはや弱者とは呼べないマジョリティとなり、5で少数の被支配者である弱者を「発見」。その時同時に多数の支配者の強者である「私たち」が初めて意識化される。「強者としてのマジョリティ」の誕生である。




大体こんな感じですが、どうでしょうか?
ひとまずこれでオレは納得しました。そういう事だったのか〜という感じです。自分で言うのも何ですが(笑)
ここから浮かび上がってくるのはサヨク思想にとって少数の強者を敵として徹底的に攻撃するのと、少数の弱者を徹底的に擁護するのは実は全く同じ動機、目的によるという事です。すなわちマジョリティの形成と維持。ポジとネガが反転しただけだという事。
この構図はおそらくいろんなとこで見受けられるものでもある。小さいとこでは「いじめ」の問題(いや小さくはないか)大きいところでは中国と日本の関係にも当てはまる。現在共産党政権によってあの巨大な中国が何とか一つの国としての体裁を保てているのは「反日」があってのことである。これなくして中国という巨大なマジョリティは維持する事ができない。
そしてこの構図でいくとサヨク思想のアイデンティティはあくまでマジョリティにある、という事が分かる。決してマイノリティの味方、ではないのだ。むしろマイノリティは必要不可欠でありいなければ困る。すなわち・・・


サヨク思想はマイノリティを本当に救済できるのか?
むしろそれを創り永遠に生み出し続けている「原因」ではないのか?


という事。
2月6日の記事で上山さんの記事を引用して「マイノリティ間の課題共有」という話を書いた。これに関連していうなら、「マイノリティが協力して戦うべき本当の相手とはいったい誰なのか。それはマイノリティという分類、見なしを与えている世界観、思想体系自体ではないのか?」という事になる。そしてそれに勝つという事の意味するところは「まったく別な世界観、思想体系によって新しい価値基準を創り出す」という事以外に無いとオレは思っている。


という事でマイノリティに関して言いたい事はひとまずこれでおしまい。この記事はオレのキャパを超えてるところがあるのでカテゴリーは「大きな話」に一応してある。しかしこれもよく考えると大きな話かどうかというのは「どんだけ話題を呼んだか」で最終的に決まるような気がする・・・結局読んだ人の判断だよな〜と思うので、今後ひょっとするとひっそり「中くらいの話」に変えるかも・・・。




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