「2ちゃんねる研究」について

知っている人は知っているかもしれない「2ちゃんねる研究」について。


http://scott.seesaa.net/article/3939381.html
経由で知った2ちゃんねる研究(終了)というサイト。その中の「個人的な文章とか」にある


2ちゃんねる・インターネット・マスメディア


・・・すごい。面白すぎ。
メディアの事とか最近グダグダ考えたりしてた事が大体すっぽり収まってる感じ。もう更新はしてないみたいだしこの文章も2002年の12月に書かれたもの。「2ちゃんねる」に対するひょっとすると今はもうない「熱」をすごく感じる。やっぱり何か期待されてたんだな〜と思う。
同時にここで書かれているように結局無理だったんだよな〜とも思う。
いわゆるテキストサイトになると思われるのであんまり引用するのもどうか、って事で興味のある人はリンク先読んでみてください。
でも一箇所だけ、結論部分の文章引用させていただきます。

検索ポータルの無思想性:
マスメディアがある種の「思想団体」であることは言うまでもない。
それに対して、ネット内の検索ポータルは無思想である。
良くも悪くも、「世の中」をコントロールしようというようなイデオロギー的意図がない。
まあ既存の検索ポータルは今後とも無思想であり続けるだろうが、何か世の中の動きの起点となるような中心点が(つまりネット世論を煽るような中心点が)登場するのかどうか・・、というのがポイントになると思う。
もちろんネット内ではそう簡単に「みんなの意見の(一方的な)代弁」は出来ないし、それがネットの大きな特徴のひとつなのだが、しかし意見を「集約」するよりは(つまり一人一人の合意を取り付けるよりは)、「代弁」する仕組みの方が遙かに簡単だ。
そういう「(勝手な)代弁」を一方的に行うサイトが万が一膨れ上がれば、我々はそれを追認せざるを得ない(あるいは追認したことにさせられる)・・という展開もあり得なくはない。
まあそうなる必然性は薄いけれども。

基本は2ちゃんねるに対する分析だけどこの結論部分はちょっと違う。というよりホントは「ネットが”力”になるには・・・」というのがテーマのようだ。これは2年半前の文章でブログ以前だった、わけなのだがこの人はブログについては今どう考えているのだろうか?すごく気になる。
ブログは「みんなの意見」は代弁しない。しかし「個人的な意見」は代弁し得る。つまりは「最大公約数」ではなく「最小公約数」を表現するのだと思っている。でその集約としての最大の単位が個別のブログサービス、になっていくのじゃないかとも思っている。


>そういう「(勝手な)代弁」を一方的に行うサイトが万が一膨れ上がれば、我々はそれを追認せざるを得ない


これもちょっと前までの切込隊長にはそれぐらいの勢いがあったように思う。まぁこれは完全に個人の力によるものが大きかったけども・・・。
いずれにせよ問題は乗り越えられていないし、文章も決して古くなっていない。惜しむらくはこれがブログでないがゆえにそこにはコメントもトラバも付いていない、という事ぐらい(笑)
とにかくお勧めです。






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