ネットは目的のものを見つけるところ?

来ないと寂しい 来たら困るよ Musical Baton


Musical Batonについてはこちらが参考になります。
Musical Baton ミュージカル・バトン!(歴史+回答つき)[絵文録ことのは]2005/06/14
ぴろくんOhgyokuさんありがとです。
んでオレは音楽とかパソに入れてないし(入ってるのと言えばドアドア・スパイVSスパイ・グーニーズとかのファミコン音楽のMIDI笑。いや懐かしくてつい)そもそもあんまり聞かないし、正直に答えるような素直な性格でないし、かといってメタ言及するにはもう何か周回遅れで出尽くした感ありあり。
流石にもうスルーしようと思ってたけどやっぱり何とか書いてみる事にしました。第三の道としてそれを枕にして別な話をするという方向で。




Musical Batonのようなものとして他にもチェーンメール不幸の手紙のようなものがある。
今回のは言わばチェーントラバとも言えるものでこれをspamとして考える人もいる。
で、このspamというものへの考え方に対して、あるいはそれを論じる文章に対してかすかな違和感のようなものがずっとあった。それほどはっきりしたものではないけどそこはかとない何か、を感じていた。
それが何なのか最近ようやくちょっと見えてきた。
それは「最適化」という言葉にも付きまとう違和感に通底しているものだった。


みそひともじの夢:「善意」と「善行」〜チェーンメールを無駄に終わらせないために〜
例えばここでは「善意」のチェーンメール、その実迷惑にしかなっていないものをどうすれば役に立つものにできるかという提案。
好むと好まざるとにかかわらず:ブログと携帯はおいしい関係になるのか?
こちらでは携帯の未承諾広告(あのエロサイトとか出会い系の迷惑メール)に何か面白い可能性を見ている記事。


こういう文章に出会うと何かホッとするものがある。
そこに無意味なもの無価値なもの、あるいは無関係なものに対するやわらかい眼差し、みたいなものを感じるからだと思う。
つまりはオレがspamとか最適化って言葉に感じる違和感というのはこういう無意味で無価値なものを切り捨てようという「思想」みたいなものに対してなんだという事。




例えばネットの中で何らかの目的を持って情報を探していてリンクを辿っているうちにいつの間にか当初の目的と全然関係のない文章を読み込んでいて、いったい何を探していたのか分からなくなる。誰もが経験する事だ。
何らかの目的を持ってネットに接する時、ネットの世界はその目的にとって意味のあるものと無いものとに二分する。
そしてどんな目的にせよ大半は無意味な情報ということになり、意味のあるものに辿り着く過程においてそれらはノイズでありspamであり邪魔なもの、と認識されるわけだ。
だけどそもそもネットというのは「目的のものが見つかるところ」なのだろうか?
オレにはそこに本質があるようには見えない。オレの考えているネットの面白さとは
出会うはずのないものと出会い、語り合うはずのないものが語り合い、関係のないはずのものが関連付く
そういうところでありここに最も大きな意義を感じている。そしてここには初めから分かっている目的、などというものはないんじゃないかと思う。




「最適化」というのは要するに求めるものに一直線に辿りつけるようにする事、であるのだと思う。これが進んでいけば必要ないものと出会うような事はなくなりどんどん便利になっていくんだろう。ネットは玉石混交であるのでいかにして石をふるい落として「玉」を見つけられるようにするか、という話もよく聞く。確かにすぐに玉が見つけられ(そもそも何が玉か、という疑問もあるが)求めるものにすぐ行き着くことの出来る世界は便利である。
・・・が、その便利な世界にはオレもひょっとすると「あなた」も居ないのかもしれない、って事は十分考えておく必要があるんじゃないだろうか。
つまりは本当に目指すべきは「最適化」でなく「快適化」ではないかと。
これがイコールで結ばれる人もいるのだろうが、少なくともオレにとっては徹底的に最適化された世界は全然快適じゃない。というよりそんな世界には住むことができない。
理由ははっきりしている。
オレはひきこもりであり、ひきこもりこそは無意味で無価値で殆ど何の関係性も持たない”spamな人”であるからだ。だからこそ過敏にそういう思想に違和感を感じるのだろうと思う。
で、結局何を求めているのか、という話になりそうな気がしてきた。


目的のものを見つける為なのか、
それとも目的が見つかる場所なのか、
あるいはひょっとすると目的なんてないのか。


最初がツール、次が環境、最後が世界っていう感じ。
もしくは・・・
最初が大人で次が思春期、最後が子供っていう感じ。
で「可能性」を一番感じるのはやっぱり「子供」なのだよね。


という事でまぁせめて今の内にこの「最適化」という言葉が担っているような思想にはNOだと言っておきたいし、Musical Batonなんかも案外こういうものに反する精神があるのかな〜と思ったり思わなかったり。
(といいつつこれも一つのマーケティングである可能性大なのだけど笑。強引に繋げただけだったりもする)