製作と活動のあいだ・「プチクリ」について

http://plaza.rakuten.co.jp/catfrog/diary/200510220001/
http://plaza.rakuten.co.jp/catfrog/diary/200510220003/
ごっつ遅いですけど、この辺のcatfrogさんの「must have」と「nice to have」の話と最近の「プチクリ」に関するあれこれに多分関係する話。




まず「must have」と「nice to have」という生活に必要なサービスと単に楽しい、気持ちいいサービスの違い。ではてなとかmixiはどっちなんだということについて。
前に「はてな=ネットのテーマパーク」説というのを書いたのだけどテーマパークとはまさに生活に必要なものではない典型的な「nice to have」なサービスと言えると思う。ただねずみの柄がついただけで定価の何倍もしたりする幻想資本なりブランドなりの「いんちき」の部分も強力にもっている例えばディズニーランドがその成功例でもある。
でもこれが「nice to have」という枠内に収まるかというとちょっと違う。・・・という話がそこで紹介した岡田斗司夫『東大オタキングゼミ』第一章の中でのテーマパークの話の中にも出てくる。以下テーマパークの発展系としての「テーマリゾート」に関する部分の引用。

テーマリゾートっていうのはですねえ、テーマパークをさらに発展させたようなもので、中心部にテーマパークをおいて、その周辺をまとめて開発して大規模リゾートをつくるというものです。いちばん有名なのはフロリダのウォルト・ディズニー・ワールドなんですが、最近ではラスベガスのルクソールホテルなども注目されてきています。これは開発費は膨大ですが、その見返りは驚くほど巨大です。というのは結局、都市開発ができるからですね。


〜中略〜


ただ、うまくいくと、地域開発どころじゃなくて、そこに産業が作られて雇用が発生して町ができてっていう、いいことはいっぱいあるし、あと活気ですね。よそから人が来る活気というのが作られる。しかもテーマリゾートというのはリゾートですから、高収入の人、所得高額者が来て、お金落としていくわけだから、犯罪率があまり上がらないんですね。


〜中略〜


収益に関していうと、ちょっとさっきとは違いまして、ライドパークやアミューズメントパークはチケットの売上と入場料がメインだったんですけれども、テーマリゾートは滞在費と物販がメインです。物販というのはお土産の販売ですね。テーマリゾートを作るときのすごい注意点は、この物販がちゃんとできるかということ。つまり、テーマリゾートの中にあるテーマパークの場合、それ自体の売上は、ほとんど期待されてないんです。はっきり言っちゃって、タダでもいいんです。そのかわり、ホテルにできるだけ長い間滞在してくれて、その間そこで食事してくれて、そこでお土産をガンガン買ってくれるっていうのがすごい大きなものなんです。ですから、平均滞在時間は48時間以上というのも、統計上そうなっているだけで、見学なんかで日帰りで帰る人以外はだいたい3日以上滞在します。そういう長期滞在客を対象にして、とにかく滞在中にいろいろなところでお金を使ってもらいましょうというのが、テーマリゾートです。

これ凄い興味深い話じゃないですか?ここまでくればこれを単に「nice to have」とは言えなくなる。それは究極的には都市開発になるのだという。でこれがはてなが目指す一つの理想的イメージになるんじゃないかなとか思ったりする。
中心になるテーマパークはそれ自体売上げを上げる必要は実はなくて徹底的に「nice to have」突き詰めていけばいい。それで人が集まってくればその周辺に「must have」なサービスができてくる。そんなイメージ。
『リゾートですから、高収入の人、所得高額者が来て』というのはどうか知らないけども、とりあえずはてなにはネットリテラシの高い人が多い、とはよく言われているので『犯罪率があまり上がらない』つまりある程度以上の秩序を保つこともできるのかも。
ということではてなは現状というか短期的には「テーマパーク」なのだと思うけどその先にはこの「テーマリゾート」というかたちが理想として微かに見える・・・ような気がする。




んでもう一つちょっと前にホッテントリに上がっていた東浩紀氏の『情報自由論』というやつ。第14回まであって長いので興味のありそうなとこのみ拾い読みでざっと読んだのだけど非常に面白かったのが次のハンナ・アーレントの『人間の条件』という著作の解説部分。
http://www.hajou.org/infoliberalism/10.html

政治思想家のハンナ・アーレントは、一九五〇年代に出版された有名な著作『人間の条件』において、人間の生活を、「労働 labor」「製作 work」「活動 action」の三つの領域に分けている(注2)。


労働とは、「人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力」、すなわち、日々生きていくために行う必要不可欠な作業を指す。製作とは、「人間存在の非自然性に対応する活動力」であり、自然を加工し、生命の循環を逸脱した人工的な世界を作り出す作業を意味する。そして、活動とは、「物あるいは事柄の介入なしに直接ひととひととのあいだで行われる唯一の活動力」であり、社会的で政治的な行為を指している。分かりやすい例を挙げれば、家賃を捻出するためのアルバイトは「労働」、趣味の作曲は「製作」、バンドを組んでのライブは「活動」となる。


アーレントは最後の「活動」にもっとも高い価値を置いた。その理由は、活動の領域でこそ、人間はひとりの人格として現れる、つまり、本論の言葉で言えば「顕名的」な存在になりうると考えられたからである(注3)。バイトする私は、無名の労働力、彼女が言うところの「労働する動物」にすぎない。作曲は創造的な行為だが、そこでも私の固有名は必要とされない。良質の作品は作者名とは関係なく流通するからだ。しかしライブは違う。舞台に立ち、楽器を演奏する私は、バイトや作曲行為とは異なり、観客たちの前に固有の人格として現れている。労働および製作の領域は無名あるいは匿名の世界だが、活動の領域は固有名に満ちている。そして、アーレントは、このような「現れ」こそが、政治と公共性の成立条件だと考えた。社会を作るとは、その成員が、たがいに固有名をもつ存在として「現れる」ことなのだ。

人間の生活を労働、製作、活動と三つに分ける。これも「must have」と「nice to have」の話に繋がっているように思うのだけどまず重要なのが製作と活動とnice to haveを更に二つに分けて別に考えているところ。
岡田斗司夫の提唱している「プチクリ」もその定義で

プチクリ」とは、「プチ・クリエイター」の略で「自分が楽しいと思えることをちょこっとやってみて発表するクリエイター」のことです。

と「発表」というのが入っているのが重要なのだと思う。単に趣味で絵を描くだけではそれは「製作」でしかなくその一歩先に「発表する舞台」がなければ「活動」とはいえない。しプチクリとも多分いえない。
でおそらく今まではこの「発表する舞台」にかかるコストが非常に大きかったのだということ。選ばれた人やあるいは生活を賭けて行わなければ(例え食えないにしても)舞台に乗り続けることは出来なかった。
それが多分簡単になった、という事なんだろうと。例えばマンガとかなら同人誌のような活動もそうだろうしネットでのブログとかフラッシュとかAAとか、これらを「発表する舞台」は別に選ばれなくても生活を賭けなくてもとりあえず立つことは誰にでもできる。でこれが人が人である所以、人が生きる意味、みたいところに繋がっているという話なんだろう。
ただ簡単になったからといってそれをやれば『固有名をもつ存在として「現れる」』かというとそれはまた別な話なのだろうとも思ってる。ここでまた匿名とか無名とか顕名とかの話もでてきて興味深いのだけど・・・


ともかくそういうわけでプチクリというのは

  • 発表の場を持っているので製作とはいえず、かといって活動という領域には一歩届かない「製作と活動のあいだ」である。

というのが一先ずのオレの理解。
でこっから商業ベースにという話にcatfrogさんの記事ではなるのだけどそれはつまり「労働」の領域の話なわけで、ある行為にこの二つの意味づけを行えるのはそれこそ選ばれた稀有な人にしかできないんじゃないかなと思う。
(例えば株式会社はてながそうかもしれない。プログラムとかコードを書いてそれを発表している。もちろんそれはお金になっているしそして『観客たちの前に固有の人格として現れて』もいる)
でブログについていうとおよそ最も簡単に立てる舞台、ではあるけどもじゃあ楽かというと決してそうではなくて要するに簡単なので参加者も多く倍率はごっつい高いよと。その中で『観客たちの前に固有の人格として現れ』るのは難しいよと。そういう話だと思う。多分。