三点リーダとアフォーダンス

文章作法 三点リーダー - Faint::Blog
faintmemoryさんのブクマコメントも含めて伝わってないっぽかったので改めて。前回の続き・・・

自分が「……(三点リーダー×2)」を使うようになったもう一つの理由は、「・・・(中黒×3)」を使い続けるとして、その理由を一々説明するのがめんどうだからというのがあった。

「・・・」の方が好きでこれを自分のブログなんかで使っていると、いつかこの「誤り」を指摘する書き込みがどこからともなくやってくる。また、なんらかの議論になったときに揚げ足取りの材料にされる可能性がある。

まずそれは誤読です。(あっ言ってもたw
中黒を説明する必要は本来無いしこれはポリシーとはちょっと違います。もちろんこれは誤読でなくて考え方というかアプローチの違いでそこをホントは指摘したかったんです。
『「誤り」を指摘する書き込み』が来たとしたら、確かにその人にはオレの「ポリシー」は伝わってない(というか伝わるはずがない)ですが「メッセージ」はむしろその人にこそ正しく伝わってる。内容でなく形式で伝えたいメッセージというのはそういうもののことなんです。
自分で書いててそのメッセージって何だ?何がオレは言いたいんだろうと思ってたんですけど、結局それは「アフォーダンス」のことだった模様。

あるところにハゲてるわけでもないのに頭頂部を剃ってカッパみたいにしてる人がいた。「なぜそんなことしてるんですか?」と聞くと「いや私はちょっと変わってる人間なんですが、それをイチイチ説明するのが面倒なのです。こうしてれば一目で分かるでしょ(笑)」と答えた。

前回書いたカッパのおっちゃん(おっちゃんらしい)はそれによって人に変だと思われたとしてそれを誤解だというだろうか? というともちろん言わない。それを見て変だと思った人、その人にこそカッパのおっちゃんが発しているメッセージは正しく伝わっている。
ではこのメッセージはどんな意味を持っているのか?
それはカッパのおっちゃんに対してどうアプローチすればいいのか、あるいはしない方がいいのかという行動の指針を与えている。そこで仮にどんな行動が選択されるにしてもその行動を促したものは環境(ここではカッパのおっちゃん)にあらかじめ与えられていた。しかもそれは意識的にコントロールされたものでもあるという。
こういう環境とかモノそれ自体にあらかじめ与えられているメッセージ、とか行動とはそれによって引き起こされる、という考え方を「アフォーダンス」というらしい。更にネットでよく見る「環境管理型権力」というのもどうやらこのアフォーダンスという概念が下敷きになってる。
という風に認識してるんだけど、どっちもネットやるようになって初めて知った言葉で、果たしてどの程度ちゃんと理解してるのか謎なのであくまで現時点での認識。(←とこういう言い訳しなくてもそれが形式で伝わるのが理想。だしその為の中黒派なんですけどw)


ということで改めて中黒派について考えると「ネットの技術に詳しくない」「出版業界では三点リーダは常識=出版業界に詳しくない」というようなこういったメッセージとは、オレ(もしくはブログ、あるいはそのエントリ)へどうアプローチすればいいのかを教えるもの、なんだという。
例えば何らかのシステムについての記事など書いたりした場合、それに対するレスとして高度に技術的なことを書かれてもオレはそれを多分理解できない。それがあくまでその人の主張として書かれていれば問題ないのだけど、もし当然それを相手が理解するだろうという予期を持ったコミュニケーション的動機を含んだものだった場合。のそのディスコミュニケーション。こういうのをひょっとすると減らせるかも知れない。
更にコミュニケーションコストを減らすことで言及しやすさ、みたいのも生まれてくれたらなお良いなと。


まぁ殆ど後付けの説明で決めた時にはもっと直感的だったんですけど、こういう良いことを期待してたんだなと改めて。
正しさで選択しない方がいいというのも「環境管理型権力」のキーワード説明にあるように、椅子は本来座り心地が良いこと、長時間座っても疲れないことが“正しい”んだけど、でもそれがある意図を持ってあえて座り心地の悪い硬い椅子が選ばれることもある。それと同じようにブログにおいての判断の軸としては例えば「どんな反応が欲しいのか」とかそういうのを考慮して決めた方がいいんだろなと。
三点リーダ自体については果たしてどれだけそのメッセージを受け取る人がいるのか、その効果のほどは激しく疑問なんですけども。