システム原理と人間原理

サイボウズ株式会社経営企画室によるWikiの分析 - YAMDAS現更新履歴
「ブログの次はwiki」とか言われてはいるんだけども一向に来る様子のないwiki。んでもweb2.0的なるものを体言している、というかいかにもweb2.0的なwikiがなんでイマイチなんだろうかと考えてみた。


例えば漢字。
漢字が日本に入ってきた時、それは書き言葉というまったく新しいメディアでありある種のシステムでもあった。既に話言葉としての大和言葉があったけどもそれと漢字というシステムとはまったく関連性はない。そして漢字というシステムはそこに適応し利用できる「人」を選ぶ。相当程度に高度な教育がなさければ適応できないというのもあるし女はできない、もしくはしてはいけないとされてもいた。
というのをシステムが人を選ぶ例として考える。システムが理想像というかあるべき人間像を規定、選別するという。
同じような話として共産主義の失敗した理由、というのがあると思う。
よく言われるのが共産主義が想定していた人間なんていなかったのだと。あるいは作れなかったのだと。実際の人間はそんな理想的世界には住めなかった、そういうような話としてよく聞く。
こういうのをシステム原理主義ということにする。こういうのっていうのはつまりシステムが理想としてるものを前提として、積極的にそれに適応しそれが理想としてる人間に近づこうとする、あるいはそれを基に判断を下すということ。


トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか[絵文録ことのは]2006/01/06
例えばこれでいうと「言及リンク文化圏」がそれにあたる。
それに対して「ごあいさつ文化圏」や「関連仲間文化圏」を人間原理主義と解く。そのこころは、システムの指向性なんか気にしないで道具として好きなように使えば良い、という感じ。


システム原理=システムに合わせて人間を作る。革命的。
ニンゲン原理=人間に合わせてシステムを作る。現状肯定的。


別にどっちが良いという話ではないんだけど、一見するとシステム原理というのは人を変えようという革命性を持っていて、web2.0とかにもそういうのをうっすらと感じるしそれに何がしかの共鳴があったりもする。人間原理は逆に保守的でどっちかというと変わりたくないという指向性を持っている。ように見える。
でも「ひらがな」は間違いなく人間原理から生まれたもんなんだよなという。漢字というシステムから弾かれた女のための文字だったわけで、それから訓読みとか含めて現在の混沌とした何だかわけのわからない日本語ができてきたというそういう経緯。
言及リンク派とかモヒカン族とかいうのは漢字(漢語)派なんだろうと思うんだけど、でもホントに面白い変化というのは実はその逆側で起こるんじゃないかなと。「ごあいさつ文化圏」とか「関連仲間文化圏」の方の変わりたくない力から生まれてくる。日本的な経緯としてはそっちの方に面白い可能性があるんじゃないかとか思ったりする。




wikiなんだけどもそれが理想としてるものってのは何となくは分かる。その理想は分かるしいいな〜とは思うんだけど、でもそれに参加する人間が見えないというか何を快としてるのかが分からないというか。その辺共産主義が失敗した理由と同じようなものがあるような気がしてる。
一方はてなブックマークにも実はそういうとこがかなりある。というかあった。いったい何が面白いのかという疑問。これはやってみなきゃ分からないというとこがあって、で実際やってみて分かったからといってやってない人にその面白さを伝えられるかというとそれがやたら難しかったりする。それは多分その面白さの部分ていうのがシステムの指向性とか理想とかとは全然違うとこにあったりするから。「コミュニケーション」ってのが一つの鍵になってるっぽい。ブクマコメント問題で言われた「ネガティブコメントするな」とか「そもそもネガティブブクマ」をするなとかっていうのはSBMのシステム原理的には正しいんだろうけど、でも結局そういうのをひっくるめたコミュニケーションへの動機が面白さの源泉であったりもして、それがないと結局他の多くのSBMのように「人がいない」という寒い状況になりかねないという。そういう難しさがあるんだと思う。
この辺の葛藤というかシステム原理vs人間原理の戦い、みたいなのがネット上の対立軸によくなってるんだけど、そういう意味でwikiに足らないんじゃないかと思うのはコミュニケーションの動機。人間原理の部分。
http://blog.cybozu.co.jp/tomoy/2006/01/wiki__03ec.html

Wikipedia で発生する問題

Wikipedia ですでに発生していると言われている問題を整理すると大まかに以下の三点が挙げられます。

  1. 情報の信頼性の問題
  2. 情報の網羅性の問題
  3. 編集者同士の見解の相違の問題

例えば3の「編集者同士の見解の相違の問題」というのは果たしてこれは問題なのかという問題があるんじゃないかなと。実はこの辺にwikiが面白くなる為の鍵がありそうな気がする。
はてなブックマーク - ウィキペディアのラルクの項にハイドの身長は156cm、と書くと数時間以内に消される|笑える一言
これとかホントくだらなくて確かに問題でもあるんだろうけど、でも遺憾ながら結局面白い。面白いと感じてしまう。
ウィキペディアのいったいどこで「編集者同士の見解の相違の問題」が発生しているのかって結構興味をそそられる情報。積極的に参加して楽しめるコミュニケーションの余地ってその辺にかなりありそう。
だからその辺をアピールすれば・・・ってのは無理なんだろか?
というかこれは単なる野次馬根性なんだろかw