あの世とこの世と言霊信仰

http://d.hatena.ne.jp/yas-toro/20060214/p4

この世界の我々には『この世界』というものはたったひとつなんだ。ちょうどまるで、一階しかない家に住んでいる人間みたいに、一階は一階で世界はそれしかない。だけれど君たちにとってはこの一階には目に見えない二階があって──そして君たちは二階へあがったりおりたりできるし、もちろんふつうに一階で生活もしていることができる。君たちには『この世界』だけじゃなく『あの世界』もある。これはたいへんなことだね。

 という事であれば、それは別じゃなくて、繋がっている。ただ見えない、気付かれないだけだ(それが世界である事に)。現実の影であり、別の世界でもあるのかもしれないけれど、それは繋がっていて、独立する必要は無いと思う。違いはあるけれど、それでも大きな意味での同じ世界の一部であり、ただ、「こちらの世界」から「そちらの世界」を見れない人もいるというだけの事じゃないかと。

「二つのリアル」の世界観・・・これ実はちっとも新しいものなんかじゃない。よく考えてみたらかつての日本人が信じていた「この世」と「あの世」、現世と常世という古い世界観そのものじゃないか。少なくとも昔の人にとってあの世や常世というものは目には見えなくても確かにあるものすなわち「リアル」だったわけで、実はネットのその虚構性とそれをリアルと感じるかどうかというのはそれにとても近い。上のエントリを読んでそう思った。前にちょっと書いたのだけど岡田斗司夫の『ぼくたちの洗脳社会』の巻末で太田光がいった「その社会は私の中での”あの世”のイメージと重なる」というのは予想以上にその本質を掴んでいた言葉だったのかもしれないと今にして思う。



「言霊の国」解体新書

というのが井沢元彦の著作にある。ここで日本人の言霊信仰について徹底的に分析、批判されている。
参考:http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/3770/main.htm
これ読んだ時はまったくその通りだと思ったんだけど今改めて考えてみるに「言霊信仰」がまずかったのはそれがたった一つのリアル「世間こそがリアル」というこの世界観と相性が悪かっただけ、なのかもしれないなと。一つのリアルの世界観というのは近代化以降の話なわけで、言霊信仰とはそれ以前の「あの世」と「この世」という二つのリアルの世界観によって成り立っていたもので、そこに大きな矛盾があったのだ。


諡 - Wikipedia
諡(おくりな)というのものは基本的に「あの世」と「この世」という二つの世界を前提にしたものであると思う。死者となったものは現世で呼んでいたのと同じ名前で呼んではいけない。なぜか。「言霊」が動き出すからである。その言霊の力によって死者の魂があの世からこの世に還ってきてしまい、場合によっては何らかの災いをもたらす。そういう発想が元になっているのだと思う。ではなぜ災いをもたらすのか。それは「この世」の秩序と「あの世」の秩序がまったく違った力学によっている、そういう風に考えられていたから、ではないのか。


というわけでこの辺を踏まえて現在のネットと現実世界の関係を考えてみる。
「ハンドルネームと実名」とは「諡と姓名」「戒名と本名」のアナロジーだ。ネットは身体性がない、がゆえに「魂」の表現されるところ、と見なすことができる。日本人がネットで実名を使うことを避ける心情にはそういうものもあったのかもしれない。
だがここに一つ大きな問題がある。
かつての「あの世」と「この世」の世界観は生と死によって一応はっきりと境界線が引かれていたのに対して現在のネット世界と現実世界はその世界に同時に存在していることだ。ネットに存在している人は同時に現実世界にも存在している・・・と言いたいとこだけど実はこれは嘘だ。よ〜く考えてみよう。もしネット世界に存在するあらゆるものが削除されることなく残り続けるのだとして例えば50年後、100年後の世界はどうなっているだろうか。そこはまさしく“死者の国”とでも表現するべき世界になっていないだろうか。いやそうじゃない。今だって僕らが必死に読み込んでいるテキストの書き手が今現在生きているのか死んでいるのかなんてホントのところは誰にも分からないのだ。
今はネットというものが出来てからまだ日が浅いからこのことはあんまり問題にされていないように思う。でもこれを踏まえて考えるならハンドルネームを諡(おくりな)とするのはアナロジーなどではなくむしろそこにこそ本質があるのだと思う。



未来と過去とあの世とこの世

そこであらためて昔の人が考えていた「あの世」と「この世」という世界観を見直してみる。とそれはただの信仰でも迷信なんかでもないのだ、ということに気付く。あの世とは「未来」もしくは「過去」いや現実の世界の時間軸とはまったく違う流れ・・・いや流れといっていいのかも分からないまったく別な異質な空間。それは現に僕らが今いるここじゃないか。なんでこんな簡単なことに気付かなかったのだろw
essaさんは「ネットについては日本が先進国」で「他の国のことは何も参考にならない」と言っていたのもこれでよく分かる。いやめちゃめちゃ参考になる教師はいるのだ。それはかつての日本人だ。あの世とこの世の世界に生きていた彼等はそれの本質をはっきりと掴んでいたのだから。



ということで

現実世界で使う実名とネットでのみ使うハンドルネームはやはりきちんと分けなければならないのだと思う。どっちの世界においてももう一方の世界の名前は「忌み名」であると考えればいい。
例えば。
もしこのネットの世界で惹かれ合った誰かと現実世界で会いたいとなった場合。
そこで気をつけなけばならないのはここでの名前をあっちではけっして使ってはいけないのだということ。もちろんここであっちの世界の名前を使うのもいけないわけだから・・・つまりこういうことだ。
現実世界で初めて会ったその時にそこで最初にこう聞かなければいけない。
『君の名は?』
と。そしてそこで初めて相手の本当の名前を「呼ぶ」のである。
でもってできれば「それ」はなるべく「肉体的」に表現した方がいいんだけど・・・ってこれはもう分かってるだろうからいいかw
つーことでこれで大体分かったと思う。
後は自分で何とかするように。