「あの世とこの世と言霊信仰」の補足

コメント欄

cavorite 『複数のハンドルと実名をネットで使っているのがふつうという文化圏もあることを、頭の隅に入れておいてください。』

ブクマコメント

tomozo3 『[net][web][word]うーん、ペルソナの問題だと思うのだけどなぁ』

おおよそ近いことをいってるんだろなという感じ。確かにその辺引っ掛かるところだったりするんですよねー。
サブアカウント問題、複数の顔を持つことはホントに良いことか - ぶろしき
ってことでここでその問題に触れてて色々考えてたんですけど改めて違う視点で書いて見ます。


『一人で複数の顔を持つ事ができるからこそ表現できることがあり、演じられる役があるというインターネットの面白さ』
上のエントリで引用したものなんですけどこれに対してオレはかなり異議がある。というのは現実の日本的世間の世界においても基本的に人は複数の世間に所属しそれぞれの世間でそれぞれの人格を演じなければならない、そういう世界に生きているのではないのか?という疑問。要するにそれは元々の日本人の処世術というかあり方というかそういうもんであって別にそれ自体はネット特有の面白さというべきものじゃないんじゃないのかという。
でむしろそこで言わんとしてるのは好きな価値観のグループに容易に所属できるという繋がり易さ、そしてその繋がりが「弱い」がゆえにいくらでも所属できるという多様さ、簡単に関係性を清算できる気軽さ。この辺にネット特有の良さというのはあるんじゃないかと思う。
が、果たしてそれだけなんだろうか?というところなわけなんですけども、ブロガーにはおそらく二種類の人間がいる。

  1. 何かあったらいつでも閉鎖して別なブログを作ればいい。過去ログ削除派。
  2. 何があってもとにかく続ける。もし閉鎖することがあっても過去ログは残す、過去ログ温存派。

もちろんその時になってどうするかホントのところは分からないのだけど、どういうつもりでやっているのかには結構温度差はあるように感じる。でおそらく1の人は上で書いたようなものを重要視してる人なんだろう思うのだけど、2の価値についてあんまり理解されていないというか言われることが少ない気がする。でもオレは始めから2のつもりでブログをというかネットの世界に関わろうと思ってた人間で、そして世間2.0シリーズを書いて改めてその価値が分かってきたのでその辺について。
元々ソーシャルキャピタルという言葉から始まったんだけど、日本的世間というものはおよそ他のどの国よりも長い歴史によって継続蓄積されてきた信頼関係のネットワークであり目に見えない資源なのじゃないだろうかと。しかしそれがおおよそ自立した個人という神話によって一貫して否定、批判されてきて弱体化してきている。そういう経緯だと見てる。でどういうわけだか世間の風当たりが物凄く強くかつ世間を殆ど捨ててしまっているひきこもりのオレは日本的世間の価値はとてつもなく大きいと思っていて、しかし同時に現在の日本は「世間こそがリアル」というたった一つの価値観の世界に生きていてすなわち「それだけ」しかないことに大きな問題というか息苦しさがあるのだと感じている。だからこそネットに普通の人以上に過剰な期待をしていて世間2.0、つまり現実の世間のそれとはまた別なかつ対抗しえる同等のものができて欲しいし、それによって二つの世間、二つのリアルの世界観にそれこそパラダイムシフトして欲しいなとw
まぁ大体この辺まで書いたんだけど、でそれをあえて「世間」という言葉で表したのは例えネット上で成立するものであってもそれは「継続蓄積されることによって生み出される何か」であると考えてるからなんだと思う。ここではネットというより「ブログ」と言ったほうがいいかもしれない。ブログは継続することにこそ価値がある、と思ってる。
俺がブログをやり始めて何が良かったかといって

  • 一つの人格で複数の世間を渡り歩ける

とこなんですよね。ここに物凄い開放感というか気持ちよさがあった。今だにコメント欄に書き込むのには敷居の高さを感じるんだけれどもトラックバックならもう大体どこにでも平気で打てる。ブログの世界にだって色々なグループ、トラックバック文化圏の違いだとかツールを提供している会社ごとの違いとかから色々な目に見えない「膜」があると思うんだけど向こう側のルールに従う必要は必ずしもない。なんらかの振る舞いを強要されたりしない。そこが現実の世間と比べた時の重要な利点になりうるんじゃないかなと。


現実世間=それぞれの世間でそれぞれの人格を演じなければいけない世界
ネット世間=一つの人格で複数の世間を渡り歩ける世界


ここにネットならではの良さ、があるんじゃないかと感じてる。
でもって俺が思うにブログの世界で『何があってもとにかく続ける。もし閉鎖することがあっても過去ログは残す過去ログ温存派』が多数派にならなければ「ネットの世間化」すなわち世間1.0化の波は防げないのかな〜と。継続蓄積されることによって生み出される何か、そこで大きな価値を感じさせるものができなければ結局ダムの底に沈んでしまうんじゃないか・・・
って実はもうあんまり心配してなかったりするだけどwまあそういう感じでできれば一つの人格を継続する人が多くなって欲しいなーとかは思ってたりします。




◆関連
http://blog.heartlogic.jp/archives/000602.html
これとか改めて色々思うところあり。
http://d.hatena.ne.jp/yas-toro/20060218/p3
前記事の打ち上げ花火の花火について - 『斬(ざん)』
こちらのやりとりは興味深い。