「現実世界とネット世界=昼の脳と夜の脳」説

人は休む為に夜眠っている・・・
というのは半分正しくて半分間違いだ。確かに「身体」は休んでいるが「脳」は決して休んでいるわけではない。脳のエネルギー消費量は目覚めている時と殆ど変わらないらしいからだ。
僕らは目覚めている時、五感を通して入ってくる大量の情報の入力を処理しアウトプットし続けなければならない。が睡眠中においては五感は殆ど働かず外からの情報の入力は最小限に、身体の機能も生きていく上で最小限必要なものを残して後は休んでいる。つまりはインプットもアウトプットも殆ど行っていないはずの脳が大量のエネルギーを消費し何かをしている。いったいそこでは「何が」行われているのか。一説には「記憶の整理をしている」とか言われているんだけど・・・
(参考:レム睡眠 - Wikipedia)



ボケとツッコミ=昼と夜

圏外からのひとこと(2006-02-06) - ボケとツッコミとブロゴスフィア

そこで、アジェンダの「既存メディアとネットメディアは融合していくのか、並立し続けるのか?」というテーマについて、ちょっと考えたことを書いてみます。

まず、ショートアンサーとして、「既存メディアは『ボケ』、ネットメディアは『ツッコミ』であり、『ツッコミ』は『ボケ』が無くては存在し得ない。よって両者は相互に補完し合い並立し続ける」

例えばここでid:essaさんが言っている「既存メディアは『ボケ』、ネットメディアは『ツッコミ』」という比喩。「相互に補完し合い並立し続ける」という関係性。これを昼の脳と夜の脳の役割の違い、として考える。
昼の脳、すなわち目覚めて活動している時の脳は途切れることのない大量な情報の入力の処理で大変だ。じっくりと意味づけを考えている暇なんてなく何らかのアウトプットによって即座に反応もしなければならない。そこで問題になっているのは何が世界で起こっていてそれ対して自分が何をしなければいけないか、だ。
が夜眠っている時の脳は昼間に経験した様々な出来事の意味づけ、情報の整理をじっくりとやる暇がある。ブロゴスフィアというある完結した自律した何かが目指しているのは現実世界=昼の脳に対する眠りの機能、と考えられないだろうか。それはまた目覚めた時に来る大量の情報の入力を、適切に処理するために必要なフォーマットを作っている、という捉え方。



江戸時代とネット世界の住民の感性が似ているわけ

(3)「庶民」による江戸時代型ジャーナリズムの過去、もしくは未来 - ぶろしき
前にここで江戸時代とネット世界がいかに似ているかについて書いた。瓦版・歌舞伎・浮世絵・春画などどれもネット世界の文化に非常に近いものがある。それらへの人の対し方というか感性の部分まで含めて。
これにもどうやら一つの見なしが与えられそうだ。
江戸時代はよく「眠り」に例えられることがある。外国からの異質で大量な情報の入力を最小限度に抑えようという「鎖国」は僕らが寝ている時五感による外からの刺激を殆ど受けなくなるのと同じ。そして黒船の大砲の音から明治維新という「目覚め」に至るという経緯。
江戸時代とは日本が歴史的に眠っていた時期、という捉え方はよく言われていると思うんだけどそれならネット世界と江戸時代が似ているのはある意味当然。やはりネットは「現実世界=憂世」に対する「浮世」なのだと思う。



夢見る脳

更に話を進めてみる。
世間2.0シリーズでは最終的に現実世界とネット世界はそれぞれ別のしかし等価な世界と認識され、日本人の世界観は「二つのリアル」という世界観になるのでは?という話になった。
そこでzoniaさんとやり取りしてる時ちょっと気になっていたことを聞いてみた。リアル−バーチャルという話ではホントはゲームの世界、特にあのMMORPGというものの存在は無視できないよな〜と思ってた。ネットを別なリアルだと主張するならMMORPGもやっぱりリアルといっていいのかという。俺の考えたリアルの定義

リアル:
自らの行動がその世界を変化させ、その世界の変化のフィードバックを受け自分も変化し次の行動へ、というループが成立していること。によって感じる生きている実感。

では一応言える。言えるんだけども・・・でもあれはやっぱりバーチャルだよなと。そういう感じが拭えなかった。
それでリアルということに対して「向こう側に確かに人が存在している」ということを重視してたzoniaさんにMMORPGをどう捉えているか聞いてみた。
webと世間と社会とリアルと… - 好奇心と怠惰の間

MMORPGは確かにバーチャルな世界ですよね。でもそこには確かにリアルな人のつながりがあって、それこそ“世間”話をしてたりするわけですよ。だから、まさしく「虚と実の間」的な空間なんじゃないかなあと思います。排中律的二元論では説明をつけるのは難しいですね。

「虚と実の間」というこの表現。いやなんせ俺は人がどう感じるかを重視してて基本的にどんな“世界”でもリアルになりうるぐらいに考えてたんだけどやっぱりあの世界はリアルとは言い切れないものがある。「虚と実の間」というこの表現がどうも引っ掛かってたんだけど・・・ハマッた。ピースが。かっちりと。
あれは「夢の世界」と考えられるんじゃないかと。「虚と実の間」とは「眠りと目覚めの間」の意。いわゆるレム睡眠の時に見るという夢の世界。いや夢を見ている時の脳の状態、機能といった方がいいかもしれない。
夢はまだまだ謎に包まれてる。それは生きていく上で必要な何らかの機能を果たしているんだろうか。なんとなく無くても生きていけそうな気がする・・・という辺りMMORPGも一見なんの機能も果たしてないし今後も果たしそうにないことと一致してる。さらには夢が「浅い目覚め」ではなく「浅い眠り」と考えられていること。MMORPGがネット世界に属していることとの一致。
夢見る脳はアヤシイ。レム睡眠時の脳のエネルギー消費量がやたら高いこととか予知夢だとか正夢だとか。MMORPGの位置づけが難しいわけである。そもそも夢というものについてまだまだ分からないことだらけなわけだから。



リアル3.0の世界

どうやらリアルは3.0まである。それはすなわち脳が三つの状態像を持っていることに一致する。


現実世界=覚醒時の脳
ネット世界=睡眠時の脳
ゲーム世界=夢見る脳


人は眠りを「無意識」と夢を「虚構」と考えている。がそれは意識の言い分なのだ、と養老先生はその意識中心主義を問題視していた。人は目覚めて眠り夢を見、また目覚めるというサイクルを繰り返して生きている。どれも人の生にとって真実であることに変わりは無い。例えば眠らずに活動し続ければ生産性が上がる、なんてのは無茶な話だ。いやそうではなくて「活動」はしているのだ。脳は一時として休んではいなくてそれぞれの状態において別なことをしている。ただ夜は「身体」が殆ど活動していないというそういうことだ。
というわけで以下未来を妄想。

  • “世界”は三つに分化する。
  • 現実世界の人口の約三分の一ぐらいの人はネット世界へ「移住」。人は一日8時間、人生の三分の一を眠って過ごしているわけだからこれぐらい移住してもおそらく十分「持つ」。
  • 更にその移住した人間の何%かがMMORPGの世界に住むことになる。あるいは眠りと目覚めの間、ということからすると二つの世界の交流するところ、になるのかもしれない。
  • おそらくそれで完成。何か非常に美しい世界のあり方が。部分が全体を表す、個人と世界がシンクロする、そういう世界。

ひきこもりは夜の世界の住人

結局ネットは「目覚める」必要なんてないってこと。このまま静かに眠り続ければいい。それがネットに求められている役割、機能なのだと思われる。
そして。
まったく同じことが「ひきこもり」にも言えないだろうか。ひきこもりこそは夜の世界に住む為に生まれてきた存在、という見方ができないだろうか。
俺は少なくともネットをやる以前、自分のことを「生きていない状態」と捉えていた。死んでいるわけではない。が決して生きてもいない。そう考えていた。
だけど今なら別な見方ができる。

  • 目覚めながら眠っている状態

外部からの情報を遮断し、内部的に完結させているその状態には眠りの比喩がふさわしい。昼寝て夜起きている昼夜逆転とはまさしく反転した世界観を意味している。


ひきこもりは「眠って」いるのだし今後も眠り続ける。それが“世界”への役割であり機能。


三つの世界。
三つのリアル。


昼の脳と夜の脳。
そして夢見る脳。


ひきこもりは夜の世界の住人。