ひきこもりNPO化構想

ゆえあってちょっと前にあったこの事件関連で思ったことを書いてみます。
引きこもりを支援するNPOの施設において男性が死亡し、代表含む職員が逮捕監禁致死容疑で逮捕された、という事件。

こちらで非常に詳しくまとめられている。
まずそもそもNPOという存在自体が何となくあやしい、というのは前から何となく思ってたんだけどそれは多分その名称、言葉の定義からきているんだと思う。「Non-Profit Organization」略してNPOは日本語では「特定非営利活動法人」とか訳されるようだけどこれが定義としてかなりおかしいというか実は何も指し示していない。非営利とは企業のような経済的利益を目的としない、という意味だろうがそういう集団や組織なんかいくらでもある。町内会とかあるいは政党なんかも社民党共産党ぐらいだったらNPOだと言ってもちょっと納得できそうだしw右翼団体なんかも入ってもおかしくない。あるいはオウム=現アーレフだって。要するに〜に非ずと否定形でしか語れないというのが何だかよく分からないという怪しさを醸し出しているんだと思う。
でとりあえず「NPOとは」で検索してでてきたのが以下のページ。

2に書かれているようにボランティアのようなものとして受け取られていることが多く「右翼のNPO」は違うんだろな、というのは何となく分かる。
3で「非営利」について書かれているけど『>NPOの場合には、たとえ剰余金が発生しても団体の関係者で分配するのではなく、次の活動や事業に投資するなど、使命実現を志向する組織だから非営利組織』というわけで「剰余金」の行き先が肝のようだ。
で。
何が言いたいかというとこういうNPOに入って活動するような人は「まとも」な動機、目的で動いているわけではない、ということだ。ボランティアであろうが何らかの社会的正義の実現のためだろうがこういう事を目的、動機として動いている人は「普通の」人からみれば相当程度に異質であるということ。NPO職員というのは一般にまともな職業とは見なされていないんじゃないだろうか。
そういう人がひきこもりを支援し、ひきこもりに対して「働かざるもの食うべからず」というような考えでまともな動機、目的を持たせて動かそうとしているわけである。これは見方によっては相当グロテスクな構図のように見える。
もし彼らに対して同じように人は食っていくために働くのだ、営利を目的とした仕事にちゃんと就くのがまともな人間なのだ、と言ったとして果たしてそれで納得するのだろうか。そういう人間がNPOなどに入って(作って)活動するだろうか。下手すると彼等自身、社会と折り合いがついてないんじゃないかという。
要するにNPOは境界線上に位置しているんだと思う。

  • まともな世界ーNPOー引きこもり

境界線上にある存在がひきこもりをまともな世界に導くというはどうしたって無理があって、というかそもそもひきこもりというのは経済的利益を動機、目的として動けない「非営利人間」なわけなのだ。
で思った。
ひきこもりの着地点にはNPOというのが最も現実的な解になるのではないかと。すなわちひきこもり当事者(元含む)によるNPOの可能性、ひきこもりのNPO法人化。
これは果たして可能なのか、というかそれでいったいどうなるのか。
上のリンク先による設立要件。

NPO法人になるための要件は、それほど難しいものではありません。まず、資金がなくても法人を設立できるようになっています。株式会社のように資本金が1,000万円要るとか、財団法人のように基本財産が数億円要るというようなことはなく、法人設立の手数料がかかることもありません。また、活動の実績がなくても大丈夫です。
NPO法人となるために法が要求することは、
(1)活動をする「ひと」が一定数以上いること
(2)活動の拠点としての事務所があること
(3)活動する計画・内容をもっていて、それが社会貢献活動であること
(4)活動のための組織があること、などです。


http://www.fvoc.gr.jp/npo/a_npo.html

設立自体は結構簡単で、お金も実績も必要ないようだ。これはなんとなく知っていて活動の実態のないかたちだけのものが乱立してたりするらしい。
(1)についてはネット上ではひきこもり当事者によるコミュニティ、及びネットワークがあるので一定数集めるのはおそらく可能だと思う。
(2)はちょっと難しいというか結局お金などが必要にもなるのだけどもそれぐらいのお金ならある程度以上の人数でアドセンスを行うなどすれば確保できそうだし、まあかたちを整えるだけならなんとかなりそう。
(3)は一先ずおいておくとして、しかしひきこもりというのは社会問題であるからしてそれにある種の解が与えられるという意味ではその存在自体が社会貢献的ではあるんじゃなかろうかとw
で(4)を含めてなんだけども、ここで「活動」といっている言葉、それがネットでの活動「だけ」でもいいのかという問題。これが認められないとおそらくまったく意味がない。このNPO法人を設立する第一の意義はひきこもりにある社会的位置を与えることにあるのだと思う。当たり前の話だけどひきこもりには社会的位置付けは与えられて(認められて)おらず所属もないわけだけども、引き篭もったままネットでの活動のみしかしていなくても、リアルに立脚した社会的位置と所属が同時に与えられるなら状況は相当変わるのではないかと。ここに一番価値を感じる。
第二にアドセンスのようなものにしても一人ではたかが知れているけども集めることができればある程度のパワーにはなるわけで、そういうパワーの集約点になるんじゃないかということ。リアルに立脚してるというのが信頼とか諸々含めやっぱり重要なのかなーという気がする。


ということでかなり突拍子もないあれだけどもこういう可能性を考えてみるのも面白いんじゃないかと思った。