動物的トリック

ネット(のある範囲)でよく使われているんだけど今一歩分からないのが「動物的」って言葉。概念。どうやら哲学者?の東浩紀って人辺りで提唱されてるものらしい。
元ネタはいかにも難解そうな感じであれだけど、とにかく流行ってるみたいなので文脈的に使われ方からおおよそ理解してる、という感じ。
対になってるのが「人間的」で【人間的−動物的】という二分法になってるんだけど、オレの脳内でこれにかなり重なってる軸が三つ。


【人工−自然】
【大人−子供】
【意識−無意識】


大体これらのどれかに翻訳すれば文章の意味するところは一先ず理解できる。だからまぁ分からないってのはニュアンスなんだろーけど、この中で特に近く感じるのが【意識−無意識】。これで8割方いける。あと2割が謎。

そこの部分で一つ鍵になりそうなのがこれもまたネット(のある範囲)でよく見る「環境管理型権力」というやつ。これはこれでまったく無かった視点で面白かったんだけど、「動物的」はこれとセットで語られることも多くかなり関係性が深いようだ。これがこの言葉のニュアンスの一つになってるだろうってことまでことは分かるんだけど、分からないのはそれを強調したいなら動物じゃなくて「家畜」って言ったほうが分かりやすいってことだ。動物は環境に適応はしてるかもしれないが別に管理されてるわけではないので。


・・・とまぁこの辺までで結局よく分からないなーってだけの話なんだけど本題はここから。
気付いたのはこの言葉にはちょっと嫌な仕掛けがあるなーということ。でその仕掛けがネットで流行った理由なんじゃないのかなーという。
すなわち
「動物的って概念をよく理解しない人は動物的である」
という仕掛け。ないしある種のプレッシャー。
対になってるのが「人間的」である以上「動物的」にはあまりポジティブな意味を感じない。他の二分法と比べても善悪の比重がちょっと偏っている。というよりそういう力学の影響を受けやすいって言ったほうが正確か。
ここから「理解しないヤツは人間じゃない」までの距離はそんなに遠くないんじゃないかなーと思う。


(もっとも流行るものにはこういうトリックが仕掛けられていることは多いのかもしれない。これを分裂勘違い君メソッド、と言うとか言わないとか)