果肉とニク

個人的にタイムリー。
かなり前に書いたアールブリュット関連の話でちょうど前回のエントリーと繋がってるっぽい。
この中でいう「世界」と「セカイ」の違いが「現実」と「リアル」の違いなんだなと。こういうカタカナ語は基本的に脳指向になっているようだ。オレの脳の中で。
んで引用されているアールブリュットを天然うなぎに例えて説明した部分、改めて読んでちょっとした気づきがあった。




なぜ「うなぎ」で説明したんだろか。
まずは養殖が難しくて天然モノが希少だから、というのが一つ。
もう一つは天然(自然)が美味くて養殖(人工)の方が不味いと考えられていること。
この辺の性質が説明に適してたんだと思うけどこの二つ目はよく考えるとちょっと変だ。というのは植物の世界は野菜果物などように人工的な環境及び品種改良で人工的に手を加えられたものの方が一般に美味しい。こういうのは人間に美味しくなるように作ってるわけだから当然といえば当然なんだけど、でも動物の方はどっちかというと人工より自然環境に近い方が美味しいと思われてないか?という疑問・・・




ってこれは一応の答えらしきものはすぐ分かった。要するにこれは品種改良の容易さの違いなんだろう。肉は食べて美味しくてもその時はもう増やすことができない状態になってる。でも果物とかなら食べて美味しかったら残った種を植えればいいだけ・・・ということで植物の方は人間最適化がどんどん進むけど動物の方は中々進まない。
そういうことなのかなと。
一先ずそう考えたけど、最初の気づきはもうちょっと本質的な部分に触れてる感覚・・・


現実とリアル、世界とセカイ。
植物と動物、果肉と肉。




果肉が美味しいのはなぜか。
果肉というのは自然状態においても本来的に食われてナンボのもんである。要は中に含まれている種を食べた動物によって遠くに運んでもらう、その為にあるわけだからあれは「動物にとって」うまいようにできてる。それが果肉の美味しい理由だ。
しかし肉が美味しい理由は事情がまったく逆だ。
この場合は自分の栄養源と定めた対象を美味しく感じるように「動物の方が」対象に合わせている。だからハエは糞にたかるのだし、ハイエナは腐肉をあさるのだ。
すなわち肉は「それを食べる者にとって」美味しいだけであって肉自体が美味しくできているわけではない・・・





  • 美しい花がある。花の美しさ、といふ様なものはない


これに繋がった。小林秀雄という人の有名な言葉らしい。
解説してる文章読んだ時はイマイチ意味が掴めなかったんだけど、これってつまりこういうことなんじゃないかと思った。
すなわち・・・

  • 美味しい果肉がある。果肉の美味しさ、といふ様なものはない

そしてもう一つ。

  • 肉の美味しさがある。美味しい肉、といふ様なものはない


現実とリアル、世界とセカイ。
植物とドウブツ、果肉とニク。