バンドンとノコ

http://deztec.jp/design/06/10/05_life.html

しかし子猫が何度殺されても、親猫は断種手術を望んでいないように見えるが……。

そうなんだよなー。ここの部分はやっぱりもうちょっと考慮されていい。
ペットならいいけど家族だとまで考えるなら人間と対等じゃなきゃおかしい。
去勢を選択するどんな理由も人間に適用されていないわけだから、どちらも野蛮な行為であるということに違いはないように思える。




間引きというものに関して親父から伝わっている話を思い出す。
東北のいわく「日本一貧乏な県」における50〜100年ぐらい昔の話。
ノコは普通に間引かれていたようだ。「まだ目の開かないうちに川に流す」という方法によって。
目が開いてしまうと自力で岸に上がって助かってしまうらしい。川に流すというのにはひょっとすると何か宗教的な意味があるのではないかと今にして思うけど、ともかくそうやってノコは間引かれていた。
そして人も同様・・・なんだけど方法が凄い。
「ひざで赤子の頭を割る」
というなぜだかノコより残酷に感じる方法。
これは時代がまた違うせいなのかもしれない。というのはこれはおそらく祖父さんの世代の話だから。
実はオレの祖父さんはそうやって間引かれる予定だった。百姓において長男以外は殆ど価値を認められていなかった時代、兄弟の中でもかなり末の方だったようなのでそういうことになる予定だったらしい。
が結果的には死なずにすんだ。もちろんそうでなければオレはこうして存在していないわけだけど、問題はその理由。
「顔がかわいかったから」
それだけ厳しい時代、環境の中でこれが生死を分ける基準になるのか?とちょっと疑っているんだけど、ともかくそういう話として伝わってる。
かわいいを舐めてはいけない。




割りと小さい時にこういう話をドキドキしながら聞いた記憶。単にいかに貧乏だったかという貧乏自慢のエピソードの一つ。
これはかつてはどれだけ残酷だったかという話でも、いかに昔は動物と対等、平等であったかという話でもないんだと思ってる。
選択肢がなかったがゆえの結果的な平等。
人と動物との差異の無さ、以上の人と人との間の開き。
現在の選択肢が多くあって簡単に選べる状況の中での無自覚な残酷性。
「かわいい」ということの深み。