共通IDによって発生する人格

続き。


この辺を考えていて今更ながらあれは素晴らしい工夫だったのだと気付いたものがあって、それが2ちゃんねるにおいて板ごとにデフォルト名(名前欄空白で書き込んだ時に表示される名前)が設定できるというあの仕様。あれがいかに面白い仕掛けだったのかという。
2ちゃんねらーといっても大概の人は「〜板住人」という範囲の帰属感覚があるらしいのだけどもこういう感覚を生むのにデフォルト名というのが果たしている役割の大きさ。アイデンティティの形成に深く関わっているようだ。
んでこのデフォルト名。よく考えると結構めんどくさい概念。匿名ではあるんだけど共通に使っている名前ともいえる。みんながデフォルト名を使っている状況なら例え「名無し」であっても名前欄に何か書き込んで投稿すれば存在は浮き立つのでデフォルト名の方が匿名性はむしろ強まる。同時に他の板との性格の違い、差異をむしろ強調してたりもして。
2ちゃんねるが始めたのか知らないけどこれホントによくできてるなーと思うのだった。
結局前回の『匿名で書くことの特権化』というのはこれの延長線上にあるのだった。匿名っていっちゃうとずれるなーと思って『共通IDみたいなもの』とか含みを持たせてたりしたんだけど要はこれのことでここに参加する上でのいくつかの条件を設定すれば大体のイメージになりそう。


人にとって名付けの問題というのは心理的に大きな影響を及ぼすものだと思う。相手をなんと呼ぶかによって立ち上がる人格は異なる、というのもそうだけどそもそも誰に名付けられたのかというも極めて重要。
実名は親に、戒名は坊さんに、HNは自ら、そしてデフォルト名なら「場」に名付けられるというこの形式。
ネットでの名前というのはかなり混沌としている印象だけども、基本的には名前が人格を育てているように感じる。名付けた誰かの幻想を土壌にその上でもって。


だから仮に共通IDのようなものをやるにしてもその手続きや形式をどうするかによって方向性はまるで違ったものになるわけで、そこがやはり難しいところかなーと思う。



人格の再統合

でオレなんでこんなこと考えてるのか、その目的というか行き着く先がどの辺にあるのかっていうのでちょっと思い出した。脳内元ネタはおそらく上の糸井重里×荒俣宏の対談の中の、

荒俣
人の持っているしわの部分や白髪の部分とかを
みんなで持ち寄って集めているうちに、
何かとんでもない一個の人間ができちゃう。

それをネットで見たので、
「もしかして、総体としての人間を
 一度バラバラにして『いいとこどり』をすれば、
 結構おもしろいものできるんじゃないか」
とぼくは思うようになりました。
http://www.1101.com/marugoto5/07.html

多分これ。「情報」とはニュアンスがちょっと違う。断片的情報をたくさん集めて編集して「コンテンツ」を作るっていうのとは。
目線はあくまで「人」に向いてると思うんだけどこれが一番面白そうな方向だなと。


例えば。
全ての人は5枚のカードを持っているとする。
半分の人の手はブタで残りの半分でもワンペア、ツーペア、スリーカードがせいぜい。それ以上の役はほぼ無視していいぐらいの確率。
でこれを誰もが全体に公開した上で交換、編集を好きにできるようになったと。
そうするどうなるだろう。
まぁ簡単にとはいかないかもだけどちょっと工夫すれば誰でもロイヤルストレートフラッシュやフォーカードが作れるようになるってことなんだろう。そしてそれはなるほど便利かもしれないしおもしろいことなんだろうとは思う。
しかしそこで次に確実に問題になるのは「役」の価値体系が崩壊してしまう、ということ。
ロイヤルストレートフラッシュは全ての組み合わせの中でたった4通りしかない、というとこに希少価値があってだから一番「強い」けど、自由に作れるならそれで強弱をはかることは難しくなる。
そもそも希少性ということなら例えブタであろうがなんであろうがその人が持ってる組み合わせはたったの一通りしかない、それこそ一期一会のものなわけでそれ以上の希少価値なんてない。
で結局は「全ての手札は本質的にはブタである」という事実に直面することになる。
まぁ実際はカードのバリエーションが52枚なんてわけもなくこんな単純な話にはならないんだけども、価値体系がカードやその組み合わせを基盤にしては決められないだろうみたいな話。ゲームのルールは根本から変わらざるをえない。
で共通IDというのはある組み合わせができた時に立ち上がってくるだろう「何か」を多分指し示している。人を五枚のカードにする、できるという想定なのでそれを持ち寄って新たな組み合わせを作れば新しい人、というか人格のようなものが想像されうる。
最終的にはある特定の人達の持っているカード全体のバリエーションの範囲内でもってある問題や課題に対する意思決定をする、状況に反応して特定の組み合わせを即座に作りだすその速度。あるいは意思決定までもっていける主体性を持った何か。
そういうものを育てていく上での最初の一歩が複数の人が共通の名前を持つこと、そしてその名付けのあり方なんじゃないかと考えたのだった。バラバラになったものを再統合してもう一度新しく人格を作るという。




とここまでまぁ理屈で書いたけどもホントは純粋な羨望が先にあったりする。2ちゃんねるで見かけるあの同化っぷりへの羨望。凄い気持ちよさそうなんだよなー。良し悪しは別として。
結局ネットにハマッてしまうような人間の求めてるものの正体はあーいうもので、ただ経緯やアプローチが違うだけなんじゃないかと思ってたり。

荒俣
パーツで言うと、インターネットには
いろいろな個人のパーツが出ているんだけど、
このパーツがほんとかどうかが
実際には分からない・・・。
ただ、一つは言えるのは
インターネットに出てきたものは
嘘であろうが本当であろうがデマであろうが、
まあ情報であることには違いないわけです。

この雑多な情報を組みあわせて
嘘どうしでつなげたものが、もしかしたら
パーツとしては嘘かもしれないけれども、
トータルとしては何も嘘ではないものが
できてくる可能性があります。
それがおもしろい。
http://www.1101.com/marugoto5/08.html