「生命の木」の系譜

芥川龍之介による『蜘蛛の糸』の物語。こういう事例を見るとそのまま現代版蜘蛛の糸になりそうで、普遍性の高い物語の原型という感じ。
ところでこの物語では結局地獄に落ちた人間の救いには失敗する。蜘蛛の糸を登っていたカンダタは、

ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限(かずかぎり)もない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻(あり)の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。

という情景に気づきエゴを剥き出しにしたその瞬間に蜘蛛の糸は切れてしまい、全ては元の木阿弥になってしまう。


もう一つ諸星大二郎による『生命の木』という物語がある。こっちはそれほどは知られてないけど最近実写の映画の原作にもなったし一部では有名。奇談 (映画) - Wikipediaとかであらすじは読める。
これも地獄からの救いというのがテーマになってるんだけどもとてもよく似ているのだった。
こっちでの救い主は釈迦でなくキリストなんだけど、上から地獄に落ちた人々の蠢いている様子を見下ろすという構図。そしてなにより救いの過程における視覚イメージが『蜘蛛の糸』にそっくりなのだ。
カンダタが見た、罪人たちが我先にと糸に群がって登ってくるというあのイメージ。『生命の木』においてはキリストが合図?した瞬間、地獄の人々は繋がりあってあるいは同化して、まるで一本の木のような形態になり天に昇っていく。(参照:ここの右下の絵とか
『生命の木』の方ではいちおう救いは成功する。いやホントのところは分からないんだけど「ぱらいそ=天国」を目指して彼らはどこかへ消え去っていく。どこであるしろそこが「いんへるの=地獄」ではないのだから地獄からの救いであるのは確かだ。
いずれにせよオレが妙に興味を惹かれるのが地獄の住人が繋がりあってまるで木のような形態になって天に昇っていく、まさしく「生命の木」と呼びたくなるようなこのイメージ。


更にこの続きなのではないかとオレが睨んでいるのが三浦建太郎ベルセルク』における「蝕」のシーン。
このマンガはホント面白いんだけど特にこの蝕のシーンが圧巻。物凄いテンションでここだけ何か突き抜けてるんだけど、ここに生命の木のイメージがでてくる。ここでは「手」のかたちとなって。
まだ未完でもあるし意味付けは確定していないかもなんだけども、『蜘蛛の糸』→『生命の木』→『ベルセルク』と追っていくとこの生命の木のイメージが順当に進化、深化しているのが感じられる。

  1. 蜘蛛の糸』においてそれはまだ完成には至らず救いは失敗に終わる。
  2. 『生命の木』で完成し救いは一応成功するけどもその結果どうなるのかはまったく謎。そして基本的には救い主(ここではキリスト)の善性のようなものはほぼ無条件に肯定されているというかそこにまったく疑念はない。
  3. ベルセルク』はまさに上の謎、疑念に答えるようなストーリーの展開。地獄に落ちた人間?の救い主はそうではない人間、少なくとも主人公にとっては敵。救いのその後の世界がどうなるかは描かれている途中でなんともいえないけど、ただ厄災的側面を強く感じさせるものに今のとこなっている。

とまぁベルセルクについてはまだよく分からないけど視野は確実に広くなってきているしより複雑な世界が描かれ始めている。
ところでこのベルセルクまで進化してしまった世界から改めて蜘蛛の糸の世界を見直してみると、一つの大きな疑問を抱く。
蜘蛛の糸はホントにカンダタのエゴが原因で切れてしまったのかという疑問。
もしカンダタがあのまま極楽に辿りついたとしてそのあと、お釈迦様はどうするつもりだったのだろう。その後ろから大挙して押し寄せてくる罪人たちを。元々カンダタだけを救おうと思ったんだからやはりそこで糸は切ってしまうのか。それとも他の人々もそのまま受け入れるのか。しかしそれだけの数の罪人が押し寄せてきたそこはもう極楽とはいえなくなるかもしれない。現にベルセルクではそうなっているのだ。少なくとも地獄ではなかったはずの世界が救いによって混ざって半分地獄のような世界になってしまっている。
とするとあの光景を見て恐怖を感じたのはひょっとするとカンダタだけではなかったんじゃないのか。糸はお釈迦様のエゴを感知して切れた。あるいはそれは同時だった。そういう風にも読めてしまうのだった。だからあれが失敗に終わったのは必然なのだという。




とここまででちょっと『生命の木』→『ベルセルク(蝕)』の関連がこじつけくさいのでもう一つ証拠らしきものを挙げて置くと、「さんじゅわん」という三人の聖者が『生命の木』には登場していてキリストは4人目の聖者として扱われているのだけど、『ベルセルク』ではすでに4人いるところに5人目が真の救い主みたいな存在として誕生する話になっているということ。
この際なのでヘルレイザーのことは知らなかったことにすればこれはもう続編としか思えないではないか。


そういうわけでまぁオレはこの生命の木のイメージに強く惹かれているのだけど、実はそういう目でネットも見ていたりする。
これってまるで生命の木だよなーと。
ってことはそこがいかに地獄かという目で見てるかということでもあるんだけども。