「沈黙のオーディエンス」について

前回の記事で言ったようにオレ自身も、面白い記事を読んでもコメントをまったくしない「沈黙のオーディエンス」の内の一人だった。この言葉、どうやらこちらのブログの記事が元ネタみたいだ。

とりあえずの認識としてはここに書かれている事にまったく異論はない。今までテレビや新聞などのマス・メディアの情報を一方的に与えられてきたという状況がずっとあり、情報の受け手が送り手に何らかの反応を返すという文化的土壌がまだ全然出来ていないという事。
確かにその通りである。そういう意味でいうと、ネットの中でも相変わらず情報の受け手でしかない大多数の人達が、ただ待っているだけで何らかの反応を返してくれると思っていたのがそもそも無理な話だったという事だ。反応を返すという行為にはまだまだ相当に高いハードルがあるという認識がまず必要である。だからまずはこの高いハードルを出来る限り低くする努力が求められる事になる。
そこでまずオレが前々から思っていた事から書いてみる。



《アクセス数と反応は比例しない》
大概のサイトにはアクセス数を表示するカウンターが設置されている。このカウンターには様々な機能があってアクセスをUPさせる上での重要な情報を取得する事が出来るようになっている。サイト運営者はその情報を元に色々分析したりしてどうすればアクセスを獲得できるのか試行錯誤しているわけだ。(・・・オレはめんどいのでやってないが)
そういった努力の結果、「いんちき」心理学研究所のように一日4千人も訪れるような有名サイトになってくる。(う〜ん、羨まし〜な)
・・・だが一向に観客からの反応は返ってこない。
「ん?どうしたわけだ?こんなにたくさん見てる人がいるのに何で反応が来ないのだ?オレのテキストはそんなに面白くないのか?」
という疑念に駆られてくるわけだ。
だがこれは「沈黙のオーディエンス」だったオレの側から見るとむしろ逆であって、あの誇らしげに飾られているアクセス数というものが観客が反応する上での最も大きな障害になっているのである。



《コウチョウ効果》
これを「校長先生と生徒の関係」で説明してみる。
生徒の側から見れば校長先生とは朝礼や何かの行事などで延々と長話をするだけのじいさんの事である。殆どの人は校長と一対一で話すなどという経験はなかったと思う。つまり校長と生徒の関係性とは基本的に一対全の構図になるので、校長が朝礼などで話す時には生徒全体に対する語り口調になるわけだ。それは一方通行のコミュニケーションであり、生徒の側からの反応はあるとすれば「貧血で倒れる」ぐらいしかない。(・・・オレの事だ。気をつけろ!)これが校長先生と生徒におけるコミュニケーションの構図だ。
そしてこれに対して生徒の方はおそらくこう思っている。


「オレは校長先生をよく知っている。その話し方だとか癖だとかをよく知っている。だけど校長先生にとってオレはこれだけ大勢の生徒の内の一人だ。校長先生はあくまで生徒全体に対してしゃべっているだけでオレに話しかけているわけじゃない。校長先生はオレの事を知らないし、多分興味もない・・・」


おそらくこんな感じになるんじゃないかと思う。
さぁこれをアクセス数一日約4千人の「いんちき」心理学研究所の浅野教授とそれを見ているオレの関係に翻訳してみる。


「オレは浅野教授をよく知っている。その考え方だとかギャグのパターンだとかをよく知っている。だけど浅野教授にとってオレはこれだけ大勢の閲覧者の内の一人だ。浅野教授はあくまで閲覧者全体に対してしゃべっているだけでオレに話しかけているわけじゃない。浅野教授はオレの事を知らないし、多分興味もない・・・」


どうだろうか?「アクセス数が多い」という事の意味がこれでよく分かるんじゃないだろうか。それを誇らしげに飾る事の愚かさが・・・
はっきり言って観客からの反応が欲しかったらアクセス数なんて目の付くとこに晒すべきじゃない。「アクセスの数」は情報の送り手と受け手の「距離感」にそのまま翻訳されてしまう。この「距離感」というものが観客が反応する上での最も大きな障害になっていると思われるのである。
だから反応が欲しかったら、様々な努力をして満足のいくアクセス数を獲得できるようになった時点でそんなもんさっさととっぱらっちまえばいいんである。オレの中の基準で言えば一日千人を超してるようなサイトにはまったくと言っていいほどコメントする気は起きない。少なくともこの位になったらそろそろ外す事を考えた方がいいんじゃないかと思う。あくまで反応が欲しければ、の話だが。
あともう一つ重要なポイント。全体に対する語り口調。これがいただけない。基本的に記事を書くときは1人かせめて2〜3人位の仲間に話してるようなイメージで書くべきだと思う。その記事に興味がありそうな特定の誰かを具体的に想定してそいつを面白がらせる為に書くべきなのだ。おそらくそうやって書くことで、あの邪魔な「距離感」というものが無くなってオレとこれを読んでいる”あなた”との間の距離はグッと近くなっている、はず。
と思ってこの記事は前回の記事にコメント書いてくれた「ぴろくん」と「侑摩さん」の二人に向けて書いてみた。あれにコメントしてくれたという事はこの記事にもかなり興味のある人、なわけだから想定する人物としては最高の人材なわけである(笑)もちろんもう一人については言うまでも無い。




というわけでとりあえずこの「ぱちもん」心理学研究所の一回目の講義はこれでおしまい。
ここまで読んでくれた”あなた”まさかこのままコメントせずに立ち去るなんて事は・・・できないでしょ。まさかね。
ここで書いた理論の正しさは「これにどれだけコメントが付くか」によって証明されるのだから。
さぁ今すぐ「コメントを書く」ボタンをクリックして思った事を何でも書いて欲しい。ブロガーにとってそれが次回の記事を書く為のエネルギー源になるのだ。
だが「過剰な期待」は厳禁だ。
それは前回紹介した「燃え尽き症候群」の例で言ったとおり。
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人間の心理ってややこしい・・・ましてそれが「ひきこもり」ならなおさら・・・




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