「沈黙のオーディエンス」について(2)

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コメントは既に知り合いになっている人のみ。トラバは関連記事としてのリンクでの紹介。(もちろん今後もコメント&トラバはお待ちしてます)


というわけで反応してもらう為の理論としてはまだまだ甘かったと言う事だと思う。この「ぱちもん」心理学研究所シリーズは反応をたくさんもらう事=理論の証明、になるので反応が少ない記事の理論は効果もあんまりない、という事になる。ただ前回の記事はいかにしてハードルを下げるか、という話だったのでハードルを下げたところで初めから飛ぶつもりがない人には効果がないのである。そういうわけで今回は「飛ばぬなら、飛ばせて見せようホトトギス」という話。(ちなみにBLOG界の出来事というブログで記事を紹介してもらってました。やはりこの話はみんな興味を持っている話題ではあるようです。)




オレは基本的に記事を書いてから関連記事を探してトラバするというやり方でやってたので、この話が既に結構議論されているネタだという事に今更ながら気付いた。
あの超有名な切り込み隊長BLOGの記事でも触れられていて、やはり書き手がもっと工夫しろっていう結論のようだった。
でオレが書こうかな〜と思っていた内容がid:cosmo_sophyさんのところの記事ですばらしく客観、公正、正確にまとめられていた。これはブログを既にやっている人、あるいはこれから始めようと思っている人は絶対読んでおかなければならないものだと思う。オレも始める前に読んでおきたかった(泣)
なのでこれをテキストにさせてもらって話を進めてみる。
ブログを楽しく運営していく上で必ず抑えておかなければならないのは「自分がブログに何を求めているのか?」という快感の方向性だ。これをきっちり認識しておかなければまず上手くいかない。それがcosmo_sophyさんの記事の中で『閲覧者にまなざされる快楽の階層構造』として極めて分かりやすく分類されている。

  1. 現実世界でURLを知らせた友人知人のみが閲覧して反応してくれれば良い……リアル直結コミュニティ型
  2. インターネットの内部で知り合いになった友人知人を中心として“批判的でない信頼できる人”だけが閲覧して反応してくれれば良い……mixiに代表されるようなSNS的ネットコミュニティ型
  3. 自分のテキストの魅力に応じた閲覧者数が適度に確保されていればよく、余りに多い閲覧者は逆にプレッシャーになることがある……儀礼的無関心を求めるマイペース型
  4. 閲覧者数の最大化を求めず、自然に集まる閲覧者と穏やかな交流を深めていければよい……一般的コミュニティ型
  5. リンクや検索エンジンを辿って出来るだけ多くの人に閲覧して貰いたいが、特別反応を求めるわけでもない……トータルアクセス&ユニークアクセス重視型
  6. リンクや検索エンジンを辿って出来るだけ多くの人に閲覧して貰うと同時に、批判的であっても構わないので感想や意見を活発に貰い、対立的な論戦さえも楽しむ事ができる……議論促進コミュニティ型
  7. 出来るだけ多くの人に閲覧して貰うと同時に、共感や承認のメッセージを貰って友好的な交流を行っていきたい……理想的コミュニティ型
  8. 閲覧者の存在やアクセス数を余り意識せず、自分の書きたい内容の記事を自由に書ければそれでよい……気ままな唯我独尊型

この8つの快楽の方向性の中で自分がどれに分類されるのかきっちり把握しておかなければ、楽しく運営していくことはできないと思う。(ちなみに引用元では番号は振られていませんでしたが分かりやすくする為、勝手ながら番号つけさせてもらいました。)

当ブログでは「いかにして観客の反応を引き出すか」がテーマになっているので、この中では
4.「一般コミュニティー型」
6.「議論促進コミュニティー型」
7.「理想的コミュニティー型」
の三つが当てはまる事になる。特に6と7が観客に過剰な反応を期待している点で重要になる。当ブログではこの二つの方向を目指す人を「問題提起指向」と「クリエイター指向」と呼ぶ事にする。
「いんちき」心理学研究所の内容をcosmo_sophyさんは『一般常識と異なる面白い見解を提示することで読者を楽しませたい』と解説していたが、オレが「この一件は参考になる」と考えたのはオレがこのブログで書こうとしていた記事と同じような方向性を持ったブログだったからだ。しかし記事の方向性は似ていても観客に求める反応はまったく逆であるという事がだんだん分かってきた。それが「問題提起指向」と「クリエイター指向」の違いになる。


浅野教授は間違いなく「クリエイター指向」だ。彼の記事は他の記事にリンクしたり引用したりしているわけではなく一個の完結した”作品”になっている。こういう風に記事を作品として書いている人が観客に求めているのは「評価」である。自分の作品を面白がってくれるファンや支持者といった人を求めていて、そのファンからの作品への評価、という反応を引き出したかったのだ。


しかしオレの目指しているものは明らかに違う。オレは「問題提起指向」だ。基本的に記事は読んでいて違うと思った記事へのリンクや引用をした上での「反論」という形であったり、あるいは面白いと思った記事を更に発展させたり転回させたりしたものである。当然その記事は一個で完結したものではなく他の記事との関係性の中に位置付られている。そこでオレが観客に求めているのは「批評」である。面白いと言われるのももちろんうれしいが、本当に求めているのは自分が記事を書く時のようにオレの考えに対する反論、もしくは発展、転回させた意見を引き出したいのだ。


ともに『一般常識と異なる面白い見解を提示すること』を目的としてはいるが観客に求める反応はこれだけ違う。そして観客の反応をより過剰に求めているのは間違いなく後者だ。
前者は書き手が記事を作品として生産し、それを観客は消費するだけで作っているのは常に最初の書き手だけである。
しかし後者は書き手の記事を消費した観客が新しい記事を生産し、それがまた新たな記事を生み出すという「循環」を目指しているのでそこでは観客は同時に生産者でもある。
そうだとすると「クリエイター指向」の人が求めている観客とは相変わらず情報の受け手でしかないただの消費者、である事が分かる。実はここにかなり矛盾があるのだ。つまりただの消費者でしかない観客にコメントやメールなどで反応を返すという「積極的な行為」を求めてしまっている、という矛盾である。
では「問題提起指向」はどうか?
ここでの観客とはもはやただの消費者としての観客ではなく同時に生産をする観客である。この「生産する観客」とは何者か?それは「ブロガー」である。そうなのだ。オレがこのブログで最初から観客として想定しているのはブロガーなのである。果たしてこのブロガーとはどういう存在なのか?


現在多くのブロガーを見ていて感じるのは、自分の考えや意見を表明したり、あるいは自分の知っている情報を提供する送り手、すなわち表現者、生産者であるという自覚である。だからそこでは想定する観客がただの消費者になっていて、そこで何らかの「影響」を相手が受けてくれればそれで満足してしまう。つまり相変わらず一方通行のコミュニケーションである事が多い。しかしこれではブログというツールの本質であるトラックバックという機能の意味があまりない。この機能が指向しているコミュニケーションの形態とは間違いなく相互コミュニケーションである。だから本来そこで求められているブロガー像とは「自己を表現し始めた観客」になるのである。つまりこういう事だ。

  • ブロガーとはかつて「沈黙のオーディエンス」だった者達の進化したまったく新しい存在形態「主体的オーディエンス」である。

ブロガーの中にはせっかくブログをやっているのにコメントやトラックバックが使われていないついていない人が結構多い。大概そういう人は他のブログの記事に対してもあんまり反応をしない人達である。つまり彼らは生産者、表現者にはなったが「観客」としては相変わらず「沈黙のオーディエンス」なのである。オレは彼らをブロガーとは見なさない。
実は「沈黙のオーディエンス」とは自分の外部の世界に存在する人達、の事ではなかったのだ。それは自分が何かを見て感じて心が動いた時のその気持ち「思い」を相手に伝える「行為」、この「思い」と「行為」の間に存在する壁のようなもの。これこそが「沈黙のオーディエンス」の正体だったのだ!
果たして我々はこの壁を打ち破る事ができるのだろうか?
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打ち破って欲しいです・・・




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2005-02-09
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