求められる主体的オーディエンス像

【結果報告】
前回記事から三日で[コメント−3(人)] [トラックバック−4(+前々回への記事に1)]
コメントはともかくトラックバックは全て記事を取り上げてもらった上での反論、発展、転回であり、まさしくオレが求めていたものだった。今までのように関連記事としてトラバするだけでなく合わせてコメントもしてみた結果である。・・・ス、スゴイ!とりあえず効果絶大であると言っていいと思う。もちろん前回の記事が面白かった、というのもあるかもしれないけども(笑)まぁこのコメント&トラバ作戦は「有意」であるとしていいだろう。
・・・それにしてもそこでの様々な見解はとても参考になるものばかりでホントに勉強になった。しかし同時にこういった内容のある反応を引き出すというのがどれほど大変かというのもよく分かってきた。その辺を絡めつつここでは「求められる主体的オーディエンス像」というのを提示してみたい。そしてそれがトラバしてくれたid:einzbrenさんの指摘した問題に対する解答になりそうである。(ちなみに「主体的オーディエンス」の名付けについてはid:tot-main:20050301さんより提案がありましたが、継続して募集中です。)




■ファン、支持者としてのコメンテーター
まず最も好まれるオーディエンスとしてこのファン、支持者としてのコメンテーターがあげられる。基本的に極めて友好的な反応のコメントをする人たちの事である。しかし残念ながらこういう反応をする人は今のところ少ないようだ。大概そういうコメントをしてくれるのは既にある程度の繋がりがある、すなわち緩いコミュニティーが形成されていてその内部での反応である場合が殆どである。まったく知らない人から好意的コメントがなされる事は稀だ。それについてはid:replicornさんの記事の

他にコメントする可能性があるのは「うーん、ちょっと違うんじゃないかな」という否定側でしょう。否定的な意見のほうが多いというのは非常に残念ではありますが、よく言われるように「相手の良いところを褒めるのは非常に難しいが批判するのはとても簡単である」ということでしょう。ですから批判的なコメントのほうがなされる確率はもの凄く高いのかもしれません

というのにまったく同感である。基本的に反応をする動機として「面白い」は弱く、間違っているという「怒り」は相当強いものなのだ。テレビなどでも見ていて面白かったらただ笑って終わりだが、間違っているとかモラルに反する等からくる「怒り」の感情が起こると苦情電話が殺到したりする事になる。
だからこういった好意的反応が欲しい「クリエイター指向」の人など(いやどんなタイプの人だって欲しいよな〜)はやはり緩くても良いのでコミュニティーの形成を考えねばならないと思う。ただ待ってても来るのは「苦情」ばかりになってしまう、というのは殆ど不可避である。
ただ・・・やはり「沈黙のオーディエンス」ならぬブロガーたるもの、面白いと思った記事には簡潔でも良いのでコメントするのを”たしなみ”としていきたい。要するに殆ど全てのブロガーはこういう反応が欲しいと思っているわけだから、ブロガー同士が遣り合えばいいのだ。現時点でのコメントする労力とそれが相手にもたらす効果、を考えればこれがいかに有効かが分かると思う。何もそんなに意味のあるコメントをする必要なんかない。というより「クリエイター指向」の人などにはひねらないコメントの方が良いと思われる。「批評」ではなく「評価」が欲しいわけだから・・・。オレは「批評」の方なんだけど(笑)




■リクエスト・コメンテーター
これはオレが目指しているコメンテーターであったりする。要するに記事の内容に関して疑問点や質問などをして自分の興味のある方向に振ってみるというものだ。これは下手をすると批判だと思われる可能性があったりして難しいところもあるが、こういうコメントがある種のブロガーにとっては有意義であると思っている。
というのはこういったコメントはうまく発展すれば次回の記事のネタになる可能性があり、なにより重要なのは観客の求めている「需要」が分かるという利点である。
中々反応がない状況でブログをやっていて困るのは観客が何を求めているのかが分からない、という事ではないかと思う。自分の好きな事を書いていれば満足、というタイプはともかく反応が欲しい人にとってこの需要を知る事は大切な情報である。当然観客に興味のある話題であった方が反応も期待できるわけだから。そこで質問、疑問などがあればそれが手がかりになるはず。と思ってそういうコメントを心がけているのだが、これが結構難しいのだ。なんせ質問すれば相手は答えねばならない、要するに考えなきゃいけないわけでそれを負担に感じてしまう可能性が高い。つまりは面倒くさい。しかし分からない部分に対して質問、そしてその解答がコメント欄でなされれば記事に対する「補足」になるわけで、建設的なものになるんじゃないかと思う。読者が何を知らないか、をブロガーは知らないわけで何をどこまで語ればいいのかが結構難しかったりする。その辺を探る上でも重要だと思うんだがどうなんだろうか?
まぁとにかく相手の負担にならない程度にこういうコメントをしていきたいとオレは考えている。
それとおおよそあらゆるコメントをする時に考えておかなければいけないと思うのは、

  • 自分はどういうコメントが欲しいのか?

である。前回紹介したid:cosmo_sophyさんの記事でも、「好意的なコメントが欲しければ自分自身がこまめに他のサイトに好意的コメントをすべし」というような事が書かれてあったがまさしくその通りで、自分が欲しい反応をまず自分が積極的にやる事。”まず与えよ”というどっかの宗教みたいな結論になりそうだ(笑)いやホントこれが真理なような気がする。




■情報屋コメンテーター
これが今回提案するコメンテーターの中で最も重要な存在になる、とオレが考えてるものだ。でもってこの存在がeinzbrenさんの指摘した問題を解決する可能性を秘めているのである。そこで指摘されてる問題の中で最も重要なところだと思うのはここだ。

もっとも読み手にとってはちゃんと関連情報が結びついていたほうがいいわけだから、そう考えると現状のブログは確かに「作成者側が果たすべきtrack backの整備を怠っている」と受け取れる部分がある。だが、これがいかに無理難題かは想像に難くない。それは極端な話、ブロガー全員に「他者が提供する情報を認識し、関連性を考慮しろ」という前提を求めていることと大差ないからだ。

オレが記事を書いてきて思ってたのはこの「他者が提供する情報を認識し、関連性を考慮」する事の難しさだ。これがいかに至難の技であるかというのはオレも痛感している。
基本的に記事を書くというのはかなり大変な作業である。色々ネタを考えてそれを文章にしていく作業はとても時間が掛かる。もちろんこの作業自体はブロガーが望んでいるものなわけだから大変ではあるが楽しい時間だ。しかし単に書いて終わり、では真のブロガーとは言えない。というかオレのような「問題提起指向」の人間はその記事が発展、転回する事を望んでいる、その為に書いているわけだから次に同じテーマを扱っている「関連記事」を探す作業になる。これが実に大変なのである。要するにキーワードになるものでの検索などをするわけだがそれに関連しそうな記事を片っ端から読んでいかなきゃいけない。もちろん斜め読みだ。オレとしてはそのテーマに強い関心を持っている人で議論し合えそうな、オレとは違う解釈ができそうな記事を書いてる人が欲しいわけだが中々見つかるものではない。その理由がトラックバックが機能してないから、だったりする。
つまり記事の繋がりがあれば一つ面白い記事を見つける事で探す手間がかなり省けるのだが、繋がってないので一つ一つ見つけるしかなくそれが面倒くさい。大変な作業になってしまうので殆どの人がそんな事やろうとしない。だから一向に記事は繋がらない。という悪循環になってしまっているのである。
この「ぱちもん」シリーズは「いんちき」心理学研究所の更新終了記事を元に論じているが、そこには既に結構トラバがあってしかもそれぞれ興味深い考察をしているという状況があったので、楽ができたんである。でもこういう事は多分稀だ。更にいうと前回記事の検証の結果トラバだけではなくきっちりコメントもした方が良い、となるとやらなきゃいけない事がありすぎる。記事を書くだけでも大変なのに・・・というわけでこんな事はまずヒマなひきこもりでもなければできないし誰もやらない。いやヒマがあるけど自他ともに認めるめんどくさがりのオレにも無理(泣)


で、情報屋コメンテーターなわけだ。オレが切込隊長の記事を知ったのも「ブロガーに蔓延する燃え尽き症候群」の記事を知ったのも記事のコメント欄によってだった。結構このコメント欄には重要な関連情報があるんである。
で、上のeinzbrenさんの記事のコメント欄でid:replicornさんがとても面白い事を言っていた。

『「トラックバックは読み手のためにある」というのは私も思っています。そう考えると、読み手がコメント内からトラックバックをして、書き手の知らないサイトを関連付けることができる機能も必要なのかもしれませんね

・・・これだ。これが全ての問題を解決する可能性を秘めたアイディアだ。確かに本来トラックバックの機能とは読み手の為にある。(いやオレは知らなかったんだけど笑)もしそうであるとすれば記事を関連付ける作業は読み手がやって悪い事はないはずだ。記事を作成してるブロガーが一人でやる事にはそもそも無理がある。しかし読み手は基本的に数がとても多い。この読み手の一人一人が一つの関連情報を提供すればあっという間に情報は集まる。しかもその恩恵はネットを利用する全ての人が受けることが出来る。つまりコメント欄の位置づけを変えればいいのだ。
おそらく多くの「沈黙のオーディエンス」にとってコメントするのがめんどいのは実はコミュニケーション自体を求めていないから、だったりする。まぁはっきりいって面白い記事なり有益な情報なりを取得できればそれで満足なのであって別にコミュニケーションしたくて読んでいるわけじゃない。コミュニケーションなんて煩わしいだけだ。しかしこの情報屋コメンテーターはコミュニケーションをする為に書くのではなく記事を関連付けさせる為、要するにブロガーに対する情報ではなく同じ記事を読んでいる多数の利用者の為になされるわけだ。
そこでは単にアドレスと簡潔な内容の説明だけを書けばいいわけで一々ブロガーに挨拶とかはいらない。ブロガーもそれにお礼とかする必要はない。というかしてはいけない。それをしたらコミュニケーションになってしまうわけでそういう煩わしさを無くさなければならない。
というわけでひとまず非ブロガーである大多数の沈黙のオーディエンスにはこの情報屋コメンテーター(いやもうコメンテーターとは言えないか)になってもらうしかない。人海戦術だからあっという間に記事は繋がり始める。
将来コメント欄でのトラックバック機能みたいのができるのかどうか、技術的な事は分からないが一先ず当ブログのコメント欄にそういう意味づけを付け加えておきたい。

  1. 関連情報の提供は挨拶抜きでアドレスと内容解説のみで構わないとする。
  2. ブロガーはそのコメントには基本的にレスしてはいけない。
  3. コメント欄は「沈黙のオーディエンス」同士の情報提供の場。

こういう意味づけが与えられていればブロガーが関連記事を探す手間が省けるようになる・・・かも。う〜ん、どうなんだろうか?
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オレだけじゃ意味ないけど・・・