ブログの記事は「情報」ではない

前回ウェブログ図書館を紹介したところ、その翌日になんと当ブログの記事が登録されてました(汗)しかも全部で15個も。
う〜む・・・紹介したから乗っけてくれたのか、それとも偶然のシンクロなのか・・・おそらくタイミング的には後者だとは思うけどそれにしても何か最近こういう事が多くて何だか恐い。(例のコメントの件でもオレが偽者だと思ったのは記事をUPしてすぐに付いたコメントだったからなのです。そんな偶然ありえないだろ〜と思ったわけで・・・)
とにかく自薦しようかとちょっと思ってたくらいなので素直に嬉しい。有名ブロガーの記事の中にこんな弱小ブログの記事が並んでいて恐縮する気持ちもあるけど「アクセスだけがブログの価値ではない」と考えているオレとしてはこの編集方針はありがたい。
そういうわけでこのウェブログ図書館の方向性についてオレが考えてる事をもうちょっと詳しく書いてみたい。



まず前回言った「フロー」と「ストック」の概念に関しては上の記事が参考になる。ここでは
【フロー】 =【議論】
【ストック】=【知的蓄積】
と定義されていてブログの記事がストックになる事の難しさを説かれている。そしてやはりブログが知的蓄積となる為にはまとめ文献やまとめサイトが必要であると考えているようである。
で、当然(?)ウェブログ図書館にはこの知的蓄積としてのストック機能が求められていると思うが、これに関して前回言った「ある程度過去のものになった記事を掲載」というのに絡めてもう少し突っ込んでみる。


オレ自身はブログの面白さはフロー性にある、と考えている。このフロー性とは一言でいうとそれが常に変化している事あるいは変化する可能性を秘めている事、であると思われる。
トラックバックによる発展、転回。コメントによる感想、補足。これらによって情報が増えたり意味づけが変わったり他の記事と繋がったりの様々な変化をするのがブログの面白さであるのだと思う。
で、この「変化する」という事を前提に考えると、ブログにおける記事は厳密には「情報」とは言えないのである。実は。
これはオレの尊敬する養老孟司先生による情報の定義なのだが、子曰く


>情報は固定化された事象(『人間科学』より)


この定義で考えるとブログの記事はそのままでは「情報」足りえない。コメントやトラバもそうだが最も重要なのはブログの記事は書き手によって常に修正が可能である、という点である。といってもこれは何もブログに限った話でなくネットの世界に存在する大半のものは固定化しておらず常に内容自体が変化する可能性を秘めている。従ってこれらのものは「情報」というよりは養老先生の言う「実体」と言った方が正確だと思われる。子曰く


>実体は常に変化する固定化されていない事象(同上)


で、これを「フロー」「ストック」という概念に絡めて考えると


【フロー】 =【流動性】=【実体】
【ストック】=【固定化】=【情報】


という事になる。つまりブログの記事はストックされて初めて情報になる、ストックする事は情報化する事、という事なのである。
そういう意味では現状のウェブログ図書館では登録記事はリンクを張っているだけなので情報化、固定化しているという事はできない。業務日誌の『ブログの閉鎖対策』『ウェブログ図書館の現状と課題(2)』を見る限りやはりこのブログ記事をいかに情報化するか、というので苦心されているように感じる。基本的にはそれを固定化しなければ知的蓄積、ストックにはなりえないのだが、ただウェブ図書館自体がネットという極めてフロー性の高い世界に存在している限り完全に情報化する事はまず出来ないしする必要もないと思う。ある程度、で構わない。
それよりむしろあまりに早すぎるストック化はブログの特性であるフロー性を阻害しかねないという事に注意が必要だと思われる。


・・・というところまで持っていくつもりだったんですが、長くなりそうなのでそれは次回にします〜。



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