ブログに必要なのはコンテンツか?それともコミュニケーションか?(2)

え〜勝手に人の記事の(2)を書いてしまうという技を前回覚えたのでちょっとこの技を極めていこうと思います。




ブログに必要なのはコンテンツか?それともコミュニケーションか?: 304 Not Modified
ブログにおける「コンテンツ」と「コミュニケーション」に関する考察。それが違うものでなくブログにおいては両立するだろうという話。
基本的には同感、なんですがそこで前提にしている定義にはちょっと問題ありだと思うのでその辺に関して。(以下一応リンク先を読んでいるという前提で書きます。なんせ(2)なので)

「持てるものから持たざるものへ」送られるのが“コンテンツ”

「送り手受け手に差のつかない」のが“コミュニケーション”

一見なるほどと思ったんですが、よく考えるとこれはいったい誰の視点で考えるかによって話が変わるはず。ある記事をコンテンツと取るかコミュニケーションと取るかはそれを読む読み手によってまちまちである。という事はつまりコンテンツかコミュニケーションかもしくは両方かというのはその記事の内容のみでは決まらない、必ず評価者を必要とする、という事にもなると思う。
更に・・・aの記事に言及したbの記事、を書いたブロガーAとブロガーBにとってそれはコミュニケーションの色彩が強く、それを見ている不特定多数の第三者にとってはコンテンツとしての色彩が強い、と言える。
そして第三者にとってそれが純粋にコミュニケーションであると評価されるならその人にとってそれは無価値である、といっていい。逆にもしちょっとでもそれに興味を持つところがあるのならそれはコンテンツとしてのコミュニケーションと受け止めていると考えていいだろう。(書き手が意図してるものでなくとも)
というのを踏まえるなら

私はブログに必要なのは「コンテンツ」だと思います。
むしろ、コンテンツしか存在しないと思います。

もまったく同意。未知でありなおかつ可能性としての「コンテンツと評価する第三者」を想定するなら全てのものはコンテンツとされる資格を持つ、のだと思う。
つまりコンテンツかコミュニケーションかというのは最終的には不特定の第三者によってしか決められない、という事は誰にも決められないという事でもある。
とここでちょっと話は変わる。



情報と媒体(2) - ぶろしき
前に考えておいたこれが役に立ちそうだ。
ここでメディアとは何か、というので情報がAからBに行き着く過程を四つに分類した。
その中での「流通媒体」というのがコンテンツのなんたるかを説明できると思う。
流通媒体とは基本的にはパッケージ化された「商品」の事である。ここではこの商品をコンテンツと考えていい。
ではあるものが商品、コンテンツとなる為の「パッケージ化」という作業は何を意味しているのか?というのを手紙というメディアを基に説明したとこを引用。

まずAさんが紙に文章を書く。ここは新聞と同じ。しかしこの「文章の書かれた紙」そのままでは相手のところには届かない。だから次にそれを封筒に入れ切手を貼るなどする事になる。この作業が「パッケージ化」である。このパッケージ化をする事によって「文章の書かれた紙」は「手紙」という流通媒体になるのである。ではこの「パッケージ化」とは何を意味しているのか?

それは「市場」のおいてある経路を確保する事である。住所や切手の貼られた「手紙」となる事でそれをポストに投函すると市場の中のある特殊な経路を通る事ができるようになり、届けるべき相手(客)に辿り着く。このようにある経路を確保する事とパッケージ化(商品化)はほぼイコールであると考えられる。つまりは経路の確保されたものが商品であり、商品化するという事は市場にある経路を確保する事、という事でこれが「流通媒体」というものが指し示している内容である。

という事。
市場=ネットもしくはブログ界と考えると記事が商品、コンテンツとされる為にはそこにある経路が確保されていなければならない。ここでの経路とはつまりリンクの事である。
従って記事の中でリンクを張る行為とは相手の記事の「パッケージ化(コンテンツ化)」でありトラックバックとは自分の記事の「パッケージ化」である、と考えられる。




ここで最初の話に戻る。
どんな経路であるにしろそれらは最終的に「届くべき相手」に届かなければ意味が無い。ここでの「届くべき相手」とはその記事を何らかの形で評価してくれる人、である。この評価によってそのコンテンツには初めて価値が生まれる。
だからリンクやトラバは純粋な不特定多数の第三者ではなくある程度の特定少数の第三者に、それを評価してくれそうな人のいそうな「場」に積極的に経路を確保する、そういうものでなければならない。
が、最終的にその価値を決めるのはあくまで第三者である。
という事はコンテンツかコミュニケーションかは、


コンテンツ=第三者にとって価値あるもの
コミュニケーション=当事者にとって価値あるもの


とも定義できる。でやっぱり純粋にコミュニケーションでしかないもの、というのはないのだ。ブログにおいては第三者の視線が常に存在しそこに価値を見出す可能性がいつでもありうるのだから。
しかしこれはあくまで結果論でもあるのでブロガーに一先ず出来るのは適切なパッケージ化という作業であり、この「適切な」という部分が難しいところなんだと思う。これをどうするかによってコンテンツとしての価値が決定されかねないわけだから。
で多分この辺が言及TB論争にも関わってくるのだろうけど・・・とりあえず今のところはここまでが限界。
(たいした結論でてないな〜笑)