ブログに必要なのはコンテンツか?それともコミュニケーションか?(4)

言及リンクなしトラックバック論争感想 - ぶろしき
ブログに必要なのはコンテンツか?それともコミュニケーションか?(2) - ぶろしき
何か前回の記事は前々回の記事で書いた内容の具体的な例になってすごく興味深かったので補足しときます。




【前回記事更新後の流れ】
コミュニケーション
(1)catfrogさんのコメント
(2)オレのコメント
(3)みんなのプロフィールのコメント
(4)matsunagaさんのコメント
(5)オレのコメント
コンテンツ化(パッケージ化)
(A)モヒカン族でのキーワード化
(B)ブックマーク数6users達成




(1)〜(5)まではコメント欄でのほぼ純粋なコミュニケーション。内容はほぼ

言及リンクのコンセンサスを形成する勢力=言及リンクにシーヤ派

言及リンクなしを弾く仕様にする勢力=言及リンクなしはスンナ派

言及リンクはあってもなくてもいいという勢力=言及リンクはアルカイナ派

の部分に関するもの。
そこで言いまつがいに対する突っ込みとか新しい派閥の提唱とかみんなのプロフィールのコメントテロとか(笑)まぁ色々あったわけです。
でもこの時点ではあくまで当事者間のコミュニケーションでしかなく第三者の評価は未知でありなおかつ可能性でしかない。
前々回の記事から引用。

aの記事に言及したbの記事、を書いたブロガーAとブロガーBにとってそれはコミュニケーションの色彩が強く、それを見ている不特定多数の第三者にとってはコンテンツとしての色彩が強い、と言える。

そして第三者にとってそれが純粋にコミュニケーションであると評価されるならその人にとってそれは無価値である、といっていい。逆にもしちょっとでもそれに興味を持つところがあるのならそれはコンテンツとしてのコミュニケーションと受け止めていると考えていいだろう。(書き手が意図してるものでなくとも)

三者がそのコミュニケーションを評価、コンテンツとして受け止めていたとしても普通それは明示されない。例えばここのコメント欄にもし第三者がそれを明示してもその時点でその人はコミュニケーションの「当事者」になってしまう。

コンテンツ=第三者にとって価値あるもの

コミュニケーション=当事者にとって価値あるもの

これはブログで記事を書いてリンクを張ったとしても事情はそれほど変わらない。その記事に辿り着く経路が確保される、という意味ではパッケージ化なのだけどそれでもどちらかと言えばコミュニケーションの色彩が強い。





で(A)のモヒカン族でのキーワード化である。
最近ブログ界隈というかはてな界隈で話題になってるモヒカン族グループ。とりあえず一番分かり易そうなのは
躁鬱断層:モヒカン族
この辺かと。何か技術系のただならぬ人達が参加しているはてなグループというはてなの機能を使ったコミュニティ・・・という説明でいいのかは謎。
まぁとにかくそこのローカルなキーワードとして登録されたわけです。
んで結果どうなったかというとリンク元を見る限りこのキーワード方面からかなり見に来る人がいて、そして今までブックマークでは2usersの壁と戦っていた当ブログの記事が6usersに。(この記事書いてる時点で)


以上の経緯で重要なポイントだと思うのが二点。
キーワード登録されたもののうちの二つ
アルカイナ派 - モヒカン族
タリヘン派 - モヒカン族
でコメント欄でのコミュニケーションがそのままネタになっているという事。これはまさしくコミュニケーションのコンテンツ化といっていいと思う。普通にブログに書くのと違ってコミュニケーションの当事者になるわけではなく行われた記事の(というかここではコメント欄の)パッケージ化。


そしてこれを踏まえた上でブックマークでのコメントの内の一つ
>モヒカン関連なのかな?
これが凄い重要。
これが何を意味しているかというとこのコメントをした人はおそらくモヒカン族のキーワードから当記事にやってきたのだという事。で読んでみた結果が上のコメント。
もちろんオレはモヒカン族関連で書いたのではないし、記事の主題も全然別なところにある。
しかし・・・これが他者によるパッケージ化というものの本質でありつまり書き手が意図したものではない大きなバイアスが掛かってしまう、という事なのである。ある記事にどういう経路で辿り着くか、はそれがどう受け止められるかを左右する、とてつもなく重要な要素なのだ。

市場=ネットもしくはブログ界と考えると記事が商品、コンテンツとされる為にはそこにある経路が確保されていなければならない。ここでの経路とはつまりリンクの事である。

従って記事の中でリンクを張る行為とは相手の記事の「パッケージ化(コンテンツ化)」でありトラックバックとは自分の記事の「パッケージ化」である、と考えられる。

という事で凄い大事なわけですよ。トラックバックというのは。書き手の出来る唯一のパッケージ化の作業なわけなので。
そして基本としては他者によるパッケージ化はまず書き手の望むものではないと考えておいた方が無難ではないかという事。そのずれに過敏になるより想定していなかった意外な展開を楽しんだ方がいいんだろうなと。とりあえず今回は凄い面白かったのでまぁこうして記事でネタにしてるのだけど、その辺で問題になってるケースが結構あるような感じ。。。


あともう一つ、はてなブックマークにおけるタグや50文字制限の短いセンテンスのコメント欄。これは基本的には記事の書き手とのコミュニケーションの為にあるのではなく、おそらく記事をパッケージ化、コンテンツ化する為にあるのだという事。
ではブログの記事のソーシャルブックマークによるパッケージ化、とは何を意味するのか?って事でやっと本質が掴めた気がする。
その行為の意味するものは「レッテル貼り」だったのである。

レッテル 0 [(オランダ) letter]


(1)メーカー・会社などが自己の製品であることを示すために、商品にはりつける小形の札。
「缶詰の―」
(2)ある人や事物に与えられる評価。
――を貼(は)・る
主観に基づいて一方的に評価・格付けしたり、分類したりする。
「問題児の―・られる」
(goo辞書より)

・・・・・。
もう何かソーシャルブックマークの事を説明しているようにしか見えないです。オレには(泣)
最後の用例が示しているように「レッテルを貼る」というのはほとんどの場合批判的文脈で使われていて何かいけない事であるかのように思われてるけど本来中立的な言葉なわけで・・・。
という事で結論。


◆関連記事
愛・蔵太の気ままな日記:ソーシャルブックマークが「コミュニティのコンテンツ化」を加速する
http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20050707/1120745633
ブクマのだよ派メソッド。ぜひ「レッテル貼りだよ」派を入れて欲しいっす。