投げ銭を受け取ってみて考えたこと、「有効な投げ方」について

はてなの投げ銭システムについて色々考えてみた - ぶろしき
の一応続きです。


投げ銭には色々別な可能性がある事に気付いたのだけどここではあくまで本来意味するところの投げ銭として、実際受け取ってみて改めて考えた事について書きます。
ホントはこういう事を書くのは良くないと思うのだけど今はまだ始まったばかりで投げ銭する人にはテスト的な意味も含まれてると思うので色々書かせていただこうと思います。もちろん具体的なとこは濁しつつですが。(ちなみにはてなダイアリーで書いている人も投げ銭を受け取るかどうか、参加するかどうか選べるように仕様が変更したようです。はてな的にもまだまだテスト段階なようで・・・)


まず受け取ってみて分かったのは投げ銭する時の重要なポイントにハンドルネーム(はてなのアカウント)を明示して行うか匿名で行うかを選べる仕様になってるというところ。
ここが非常に重要なところだと気付いた。
今回投げ銭してくれた人では4人の人が明示による投げ銭だった。で、この4人が4人ともに偶然・・・というわけではおそらくないのだけどこちらも相手のブログを読んでいる、あるいはトラバやコメント、ブックマークなどでそれなりに知り合っている人だった。
もちろんそれはとても嬉しかったのだけど、しかしちょっと考えてこれが非常にまずいことに気付いた。
どういう事かというとこの投げ銭してくれた人のブログはこちらもチェックして読んでいるわけなので当然オレの方も投げ銭する可能性が十分ありうる。そしてもしそうなった場合、そこに恐るべき難問が立ち上がってくるのである。つまり・・・

  • いったいいくらを投げ銭すればいいのか?

という問題である。相手が自分のところにしたポイントの額が分かってる以上この問題を無視することはできない。
少なくていいのか?
いやそれはやはり失礼な気がする・・・というのがやはり人情だろう。
同じでいいか?
まぁ無難・・・な気もするけどそれじゃ最初に書いた落語の花見酒状態で酒だけが減ることになる。何よりそれだと「お返し」と受け取られかねないので嬉しさも半減してしまうかもしれない。
じゃあ多くするか?
そんな事すると下手すれば相手も同じように多くしなきゃならないプレッシャーを受けて互いにちょっとづつ多くするやり取り、みたいな状況になりかねない。


という事でそこにはどう考えても正解がないのだ。まあこちらは匿名でやればいいのかもしれないけどそれでもこの問題がなくなるわけではない・・・。
とこういう事を考えていて思ったのはこれじゃうまくいかないだろと。投げ銭ってもっと気楽に受け取れて気楽に投げられなきゃうまく回りそうにない。
という事で改めて色々考えて気付いたのが最初に提示した投げ銭のモデル

貢献の伝播:ブロガーA→ブロガーB→ブロガーC(矢印は書き手と読み手の関係)

収入の伝播:ブロガーA←ブロガーB←ブロガーC(矢印は投げ銭

このモデルの重要なポイントは矢印が一方通行であるって事。つまり書き手と読み手の関係が一方通行である時、投げ銭が発生する事には相応の意義がある。
しかしもしこれが双方向であるなら、相手もこちらのブログを読んでいる状況であるのならそこに投げ銭が発生することにはあまり意義はない。すでにして互いに貢献をし合っているわけなのでそこで発生してしまうと少なくとも現在の動くたびに5%減るという仕様上、「花見酒」の例のように二人の間を行ったりきたりで酒だけが減っていく、というアホらしいことになってしまうのである。
という事でこの投げ銭は考えてたほど簡単じゃないようだ。もちろんこの話は本来的には、というもので投げ銭するには色々な動機、目的がありうるのでそれを踏まえて、実際自分がやる時にはどうすればいいのかを色々考えた。まずは「投げ銭」という名称の面白さについて。






投げ銭の「投げ」の意味】
この名称は以外に本質を突いてたんだな〜と改めて思った。ポイントはもちろん「投げ」というところ。
これはこう解釈することが出来る。

  • 投げ銭は直接受け渡しが出来るほど近くなく投げても届かないほど遠すぎない、ほどほどの距離にすべし

解釈できる、ってオレの勝手な考えなんだけどもw
近いのはあんまり良くないというのは上で書いた通り。もちろんしたっていいんだけど例えばもうお気に入りとして常にチェックし合ってるというような状況なら(それが分かっているなら)なくていいと思う。
じゃあ遠ければいいかというと今回してくれたのもすでにそれなりに知り合っている人、おそらく結構読んでくれている人が多かったわけでこれがやはり人情なんだろうと思う。こちらは結構読んでるけど向こうはおそらく読んでない、とかあるいは一度読んだだけのものよりは何度か読んでいる人の方、とかまぁある程度の近さがあった方がやはりしやすいんだと思う。しおそらくオレもそうすると思う。
この距離感というのが多分ポイントになりそうだ。




投げ銭する基準、タイミング】
この基準というのが結構難しい。ある基準をもうけてそれをクリアしたものにしていく、なんてやり方だとあっという間に投げ銭する為のポイントが無くなりそうだ。で凄いしたい記事に出会ってもその時にはできない、なんて状況になりかねない。そもそもオレの場合はあくまで受け取った分しかする事ができないので、ここはよく考えておきたい。
で考えたのがある期間を置いて一気にやるやり方。
例えば一ヶ月なら一ヶ月間、今まで通り気になるものは普通にブックマークしていく。その時には投げ銭はしない。
で一ヶ月経ったらその間に受け取った投げ銭の分を使って一気にやるという方法。
このやり方の利点は

  1. 一ヶ月寝かせることでより適切な判断ができそう。
  2. ブックマークするたびに一々するかどうか、どのぐらいするか、なんて迷わなくてすむ。
  3. したいのに出来ない、という状況も回避できる(といっても一ヶ月の間に受け取れなかった場合は出来ないんだけど笑)

という感じ。まぁもちろんそれぞれ好きな基準、やり方でいいわけだけど正直これが一番いいやり方なんじゃないかとオレは思ってます。




で最後にそもそも投げ銭とは何なのか、何を表しているのか、という事についてオレが考えてる事。
以下の文章は岡田斗司夫の公式サイトhttp://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/の「ライブラリー」の最初に掲げられている文章。

この図書館は、岡田斗司夫が「著作者本人がネットワーク上で全データを公開する」という実験のために運営している。

こうすることによって、僕の本の売り上げは下がるかも知れない。でも僕は本来、書籍とはタダで立ち読みできて、その上で買うかどうかの判断が出来るべきだと思う。その上で内容に共感した人は、僕をサポートするために、あるいは自分の思い出のために書店で買って欲しい。

(サポート、っていうのは金銭的な意味だけじゃない。本が売れれば、僕は出版社に対して次の企画が通しやすくなるんだ。僕の本は1冊ごとに以前の本と違うので、いつも企画を通すことに苦労する)

プロの物書きでもある岡田斗司夫にして「書籍とはタダで立ち読み」できるべきものなのだと考えているという事。つまりこれは「情報」はタダである、と言っているに等しい。
では何の為にお金を払うのかというと「共感」であったり「サポート(応援)」であったり「思い出」(は冗談にしても笑)だったりを表す為にする、と考えているという事。
ではブログにおいては?
多分言うまでもないんじゃないかと思う。
「情報」はあくまで「タダ」である。投げ銭が発生したとしてもそれは売っているわけでも買ったわけでもおそらくない。適切な評価といってもそれは何か客観的な基準というようなものではなく、主観的なあるいは個人的な基準、共感だったり支持だったり期待だったりの「思い」つまりは「感情」を含めたものなんだと思っている。
もちろんそこには
http://d.hatena.ne.jp/./ululun/20050811/1124098791
こちらで書かれているようなマイナスの感情もおそらく含まれるだろう事に注意が必要なのだけど・・・


という事で当然この記事も「タダ」なんですからねw




〜追加分〜
4.ろじぱら的「Web投げ銭」の定義
今しがたこちらの記事見つけました。
先駆的に投げ銭システムをやっていたところの定義で、非常に参考になります。
ここでの「正しい投げ銭」「正しくない投げ銭」の例には大いに納得。
ただ「正しくない」といってもそれはあくまで投げ銭としては、という事でやはり前々回前回と書いたのは投げ銭ではない別な何かなんだなと。そしてやはりそこには可能性(もちろんネガティブなものも含めて)があるなと。
でこの記事はあくまで「正しい投げ銭」の方で書いているのでそこに注意して読んでください〜。