投げ銭システム一先ずまとめ

として最後にオレの大雑把な見なしを書いておきたいです。


転向者――インターネットでの「金儲け」はいつから受け入れられるようになったか[絵文録ことのは]2005/05/11
松永さんのネットとお金に対する意識の変化、に関する記事。
かつてネットはお金の絡まないある意味純粋な世界であった・・・ようである。
オレが始めたのはごく最近なのでアフィリエイトという言葉が普通に使われている、既にそういう状況だった。
しかしそれでもこういう純粋な世界への希求、みたいな空気も確かに感じていた。
例えばオレがブログを始める時、ツールごとのサービスの違いなんてあんまりよく分からなかったのだけど、最終的にはてなダイアリーを選んだ理由の最も大きなものが「金のにおいのなさ」だったりする。もうとにかく硬派というかデザインとかも凄いシンプル。テキスト主体というか場合によっちゃテキストしかない、という。そこに惹かれた。


しかし上の記事で書かれているようにそれも少しづつ少しづつ変わってきている、どうやらそんな状況。

そういうわけで、何が言いたいかというと、新しい人が流入したからネットの雰囲気が変わったという要素だけではなく、むしろ、以前からネットを使っている人たちの中でも意識がずいぶん変わってきたのではないか、ということ。つまり「転向」だ。


コミュニケーションの可視化が起こす問題 - ARTIFACT@ハテナ系
でkanoseさんのこちらの記事。

ネットというのは、現実社会で疎外されていると思った人たちの楽園だった。自分も、ネットを通して、普通に生きているだけでは知り合えなかっただろう人たちと出会えた。それまで、人と知り合う機会は住んでいるところ、通っている学校や勤めている会社といった場に規定されていたが、ネットはマイナーな価値観を持っている人同士をマッチングするのに長けていたからだ。

しかし、ネットの一般化は、ネットに現実社会と同じルール・価値観を持ち込むこととなった。その上、ブログやSNSなど、コミュニケーション部分を強化したツール、サービスの登場によって、この構図はどんどん強化されている。

これはおそらく上のお金が絡むことが普通になってきた状況とリンクしている話なんだと思う。
お金が絡んでくるという事はイコール現実社会と同じルール・価値観を持ち込むことに繋がっていると考えられる。


>ネットというのは、現実社会で疎外されていると思った人たちの楽園だった


ならオレは今滑り込みセーフでその恩恵を受けているのかもしれない。
だが果たしてこれは本当に過去形で語られるべきものなのだろうか?




真性引き篭もり-友達の値段、妻の値段。ブロガーの値段、読者の値段。
真性引き篭もり-投げ売りの奔流

例えばこの真性引き篭もり投げ銭に対する反発もそういう文脈で読める。というかオレは読んでいる。

I DONT SELL BELIEVE!!
僕は売りません!

真性引き篭もりhankakueisuu


お得情報です(バトン + 投げ銭 = ビジネスバトン) - 視基aB
それだけでなく投げ銭システムがうまく回るとどうなるのか、オレはいい方しか書かなかったけどここの記事はその嫌な予感の方を的確に表現していて秀逸。(リンク先も要チェック)


つまりは今後すぐにではなくともちょっと、いや凄く嫌な世界になるかもしれないという事。
確かにそういう面は確実にあるのかもしれない。(最も嫌なのはひきこもりにとって、「疎外されている人」にとって、でしかないのかも知れないけど)






でも本当だろうか?
現実社会のルールと価値観がネットの世界にただ単に持ち込まれるだけ、なのだろうか?
という事に対するオレの結論は実は既にここに書いてあったりする。
ぼくたちの「信頼」社会 - ぶろしき
「信頼」は投げ売りされる。確かにそういう世界になるのかもしれない。
でもそれは多分通過儀礼だ。とオレは考えてる。
情報しか読まない人、その向こうの人間を見てる人・・・果たしてどちらがその「先」に到達するのか。
「現実社会で疎外されている人」としてはその向こう側に行き着くまでしぶとく生き残って、居場所を確保しておきたいな〜と。
そう思ってる次第です。






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