(2)はてなブックマークは(市民)参加型ジャーナリズムである

というわけでいよいよ本題。
ホントはソーシャルブックマークは、と言いたいとこなのだけどここではあえてはてなブックマークに限定する。
既に当ブログでは3回ソーシャルブックマークについて書いてきた。


ソーシャルブックマークのすすめ - ぶろしき
ソーシャルブックマークの可能性 - ぶろしき
ソーシャルブックマークとウェブログ図書館 - ぶろしき


もうこれを書いている時には上で書いた「ジャーナリズムの定義」は頭にあったので(うまく説明はできなかったけど)オレははてなブックマークをずっとそういう目で見て考えていた。
まずはてなブックマークについて全然知らない人には


はてなブックマークのススメ - 北の大地から送る物欲日記
はてなブックマークの可能性 - 北の大地から送る物欲日記


こちらがお勧め。タイトルがほぼ被っててびっくりなんですけど、ひじょ〜に分かりやすくまとめられています。
という事で以下これを踏まえた上で。






【ランキングとはてなブックマークの違い】
ライブドア堀江社長の考えは「価値判断はユーザーがすべき」というものだった。これは同時に読者による人気投票、ランキングを示唆しているものだと思う。
はてなブックマークにおいてもブックマークするという行為は投票的意味合いを含んでいる。個々のブックマークは集約されて最近の人気エントリーというかたちでランキングのようなものになっている。
だがいわゆるランキングとはてなブックマークのそれは同じものなのだろうか?
この疑問はそのまま何が情報かを決める新しい「主体」はホントに「ユーザー」なのか、というのにも繋がっている。


伊藤直也の「アルファギークのブックマーク」
こちらははてな伊藤直也さんによる記事。
この中で使われている例がこの辺を非常にうまく言い表しているように思う。

アレクサンドル・デュマの小説「三銃士」の物語で出てくる、「1人はみんなのために、みんなは1人のために」(All for one and one for all)という有名な台詞があります。テレビアニメ化された作品でも、主人公の若き冒険家ダルタニャンと銃士隊が剣を掲げてその志を確認し合う、お決まりのシーンで使われる名台詞です。これに対してFolksonomyは、「1人は自分のために、気付けばみんなのために」という台詞が合うなと、近ごろ思い始めました。

 FolksonomyのようなWisdom of Crowdsが成立するためには「1人はみんなのために」ではダメ。それぞれが独立分散している必要があるから「1人は自分のために」でなければならない。「みんなが1人のために」動くのではなく「気付けばみんなのために」が実現されるような優れた集約システムがなければいけない。なんて考えられます。われながらいいフレーズを思いついたものです。

Folksonomy」というのは「みんなで分類する」というような意味でこれはソーシャルブックマークの思想のことなのでここでは「はてなブックマーク」と言い換えても問題ないと思う。
でまずここでの「1人はみんなのために、みんなは1人のために」という有名なセリフ。これが実は従来のいわゆるランキング、人気投票を表していると考えられるのである。


《ランキングはみんなのために》
いわゆるランキングというものはそれに参加したからといって一票を投じたからといってそれが即自分のためになるわけではない。それが集計された結果からは何に人気があるのかという重要な情報が分かるので恩恵を受ける事になるのだけどそれは別に参加しなくても得られる。
要は割合が決まればいいので一定数集まれば統計的に正確な数字が出る。この数は集まれば集まるほど誤差は少なくなるのだけど、同時に「自分が一票を投じることの影響力」もどんどん減っていく事になるわけなので「自分のため」からもどんどん離れていくことになってしまう。
結果それに参加する人というのは「みんなのため」というのをきっちり認識しかつそれに積極的に貢献しようとするような意識の高さ、が求められる事になるので、要するにランキングとは「1人はみんなのために、みんなは1人のために」という思想に基づいているものだと考えられるのである。


《ブックマークは自分のために》
「1人は自分のために、気付けばみんなのために」というのはまさしくソーシャルブックマークの本質をついているのだとオレも思う。
とにかくブックマークする動機には色々あって一概にはいえない。何が正しいというのも基本的にない。それでも例えばこちらの記事が端的にまとまっていて非常に分かりやすいと思う。
はてなブックマークの3つの役割 - モジログ

1) 自分のクリッピング、情報整理ツール
2) いいページ、ブログエントリを紹介・発掘
3) ホットな話題にコメントする

まぁいずれにせよ自分のため、あるいは面白いから楽しいからやっているのであって「みんなのため」というのはあったとしてもその中の動機のうちの一つに過ぎない。今後これを利用する人がいくら増えたとしても、そしてそれによって一票を投じる影響力がいかに少なくなったとしてもこの「自分のため」がある限りは参加し続けるだろうと思われる。
『それぞれが独立分散している必要がある』というのも要はそれぞれが「みんなのため」など意識しない個人的事情、基準によって行う、共通のベクトルを持っていないという事だと思う。


という事でいわゆるランキングとはてなブックマークのそれは意味合いがかなり違う。
そしてこの違いが「誰が情報の格付けを行っているのか」という主体の違いをおそらく表してもいる、と考えられるのだが・・・。






【日本のマスコミは元々ユーザー指向】
『マーケットの馬車馬』さんの記事は非常に参考になるものが多い。まずはこちらの記事。


論理の嫌いな日本人(3) 武器なきマスコミの彷徨: マーケットの馬車馬
ぜひ読んで見て欲しいのですけど、要するに日本のマスコミは諸外国と比べれば元々”啓蒙”など殆どしておらず徹底した顧客視点、ユーザー指向である。というような内容。

しかし、実のところ筆者は日本の新聞を読んでいて傲慢だと感じたことはない。日本の番組から強烈に感じるのは、徹底した顧客視点だ。これはマスコミに限った話ではないが、日本の消費者は世界一厳しい。だからこそ、製造業も、サービス業も、競争原理にさらされている企業は徹底的に顧客のニーズを洗い、顧客自身も自覚していないニーズを掘り起こしてビジネスを拡大していく。そうやって日本の企業は高い競争力を手に入れた。
この顧客視点はマスコミにもしっかりと息づいている。「こんなものはニュースにならない」というフレーズは良く聞くが、これはその記事が重要度が低いかどうかではなく、そんな記事を読者は読みたいと思っていない、というニュアンスで使われているようだ。

まったくその通りであると思うのだがどうだろうか。
情報の格付けはマスコミが行っている、というのは実は「建前」なのであって実質は顧客が決めている(いた)のである。少なくとも日本においては。
そしてもしそうであるなら堀江社長のいう「価値判断はユーザーがすべき」という言葉も実は新しいジャーナリズムの事を言っているのではなく従来のジャーナリズムの建前、すなわち権威を取り払って本質をついた「だけ」の言葉であるのかもしれないのだ。


それでもジャーナリストは必要だ: マーケットの馬車馬
そしてもう一つこちらの記事から引用。

マスメディアの存在意義

つまり、マスメディアは、「多くの人が何を真実であると思っているか」を知ることが出来るからこそ存在価値がある。その記事が読まれてさえいれば、内容の良し悪しはどうでも良い問題なのだ。

そして、実のところ、世の中では「真実を知っていること」よりも、「皆が真実だと信じていること」を知っていることの方がずっと重要であることが多い。極端な場合、「皆が真実だと思っていることが真実になる」ことだってある。

〜中略〜

言い方を換えれば、いわゆる「マスメディアへの信頼性」というのは、「非常に多くの人がその新聞などを注目して読んでいることが信じられる」ということであって、そのコンテンツに対する信頼性ではないということになる。記事の中身よりも発行部数のほうが重要だということだ。

至言であると思う。
そしてこれについても実は日本的なある特殊な事情が反映されているのだと思っている。
西洋、というよりキリスト教圏の人々は「皆が真実だと信じていること」を既に知っている。「聖書」があるからだ。
もう決して書き換えられる事のない、みんなが共有している(と信じられている)情報、としての聖書があるからである。
だが日本には聖書はない。従って「それ」は常に再生産され続けなければならない。日本人が「みんなが何を知っているか」に非常に敏感であるのはそれがその時その瞬間にしか存在しないものであるから、ではないかと思う。
そしてそのニーズに徹底的に答えてきたのが日本のマスメディアなのだと思われる。
(関連)
社会を支える「固定点」 - ぶろしき
固定点としての既存メディア - ぶろしき






【誰が情報の格付けを行うのか】
とりあえずここまでの話のまとめ。

  • はてなブックマークはいわゆるランキングとは意味合いがかなり違う。個々のブックマーカー達はあくまで「自分のため」に好き勝手に行っている。それが集約されていつのまにか「みんなのため」になっている。
  • 堀江社長は「価値判断はユーザーがすべき」と言ったがそもそも従来のマスメディアも過剰にユーザー指向だったのであり、今はユーザーのニーズを掴み損ねているに過ぎないので実は対した違いはなかったりする。
  • 「みんなが何を真実であると思っているか」を知ることが最も重要。「みんなが共有している(するべき)情報」は日本においては常にその時その瞬間に作られ続ける。(場合によっては捏造される)

まず一つ注意して欲しいのはここで「みんな」と言っているのはとりあえず現状においては「はてなユーザー」である事だ。
改めてジャーナリズムの当ブログでの定義。

ジャーナリズム:
ある社会、もしくは共同体の構成員全体にとって重要な、あるいは知っておくべき「情報」の格付け、報じるべき優先順位を決める事。

ジャーナリズムの変化:
その価値観、基準が変わる事(小進化)
それを決める主体自体の変化(大進化)

つまりこの共同体の最小単位としてはてなユーザーという緩い(場合によっては濃いw)共同体は成立しつつつあると思っているのだけどその範囲に限った話である。ひょっとするともう既にそれ以上の範囲にも拡大してるのかもしれないし、そして今後それはどんどん拡がっていく可能性も大きいと思っているけども一先ずそういう話。
重要なのは大きさではなく「かたち」であって、要はそこでどんな新しいモデルが成立しているのか、なんだと思う。
今起こっている事は確実にジャーナリズムの大進化、つまりは情報の格付けを行う「主体の変化」の方であると考えている。
だがそこで起こっているのは


マスコミ(マスメディア)→ユーザー(インターネット)


ではおそらくない。なぜなら今までだって少なくとも日本においては実質的にそれを決めていたのはユーザー(顧客)であったと考えられるからだ。
そして「ユーザー」というある属性によるまとまり、一定の方向性を持ったものが決めるならそれは結局「一人はみんなのために」というランキングの思想に行き着かざるを得ない。
(今行われている選挙もランキングの思想である。投票するのは「国民」だからだ。やはり「一人はみんなのために」投票にいくのだろう。そしてそこでは多数を取らなければまったく意味がない)
でははてなブックマークでの投票はどうだろうか。
改めてはてなの伊藤直也さんの記事から別な部分を引用。

つまり、Wisdom of Crowdsが形成されるためにはいくつかの条件があるようです。書籍によるとその条件とは、以下のようになります。


個が互いに独立していること
個が分散していること
個が多様であること
個を集約する優れた仕組みがあること

これ以外にも
>“個”をひたすらに集めた個の集合体、集合知です
という言葉もある。
これがどういう意味を持つのか。
はてなブックマークにおいて「知っておくべき情報の格付け、報じるべき優先順位を決め」ているのは”個”であるという事だ。それは「はてなユーザー」というある一つのまとまり、が決めているのでもなく「はてなユーザーのため」に行なわれているのでもない。互いに独立分散していて多様である一定のベクトルを持っていない”個”がそれぞれ好き勝手に行っている。あるいはそういうものでなければ意味がない、ものなのである。
これは「Folksonomy」という新しい分類の思想によるタグの共有も事情は同じ。例えば上の伊藤さんの現在87usersされている記事のブックマーク画面。ここでのそれぞれ好き勝手に付けられたタグの集合、がその視覚的イメージとしても分かりやすいと思う。
で。
これが結局「誰が」情報を格付けするのか?という疑問への答えにもなっていると考えられる。つまりは

  • ジャーナリズムの大進化、共有すべき情報の格付けを行う新しい主体とは「個」である。

というのがオレの結論。これが新しい参加型ジャーナリズムの本質であり核心部分。
そしてここでのジャーナリズムの定義上、(市民)ジャーナリストとは「記事を書く人」の事ではなく「情報に格付けを行う人」の事なのでそれは個々のはてなブックマーカーである、という結論にもなる。






【情報を共有すること】
ではそうして個々のブックマークの集約されたもの、についてはどうだろうか。
例えば全体の0.01%しかないという100ブクマ以上された記事については。
それは「みんな」に共有されている、と信じられ始めている・・・ように思われるのだがどうだろうか。もちろんここでの「みんな」とは「はてなユーザー」のことだ。
改めて馬車馬さんの文章から。


>いわゆる「マスメディアへの信頼性」というのは、「非常に多くの人がその新聞などを注目して読んでいることが信じられる」ということ


実際にはてなユーザーがどの程度共有しているのか、はここでは問題にならない。それを多くの人が信じている、ことが信じられさえすればそれでいい。


>マスメディアは、「多くの人が何を真実であると思っているか」を知ることが出来るからこそ存在価値がある


ブックマークには短いセンテンスのコメントが付けられるようになっている。実はそこを読むと結構「みんながそれをどの程度真実であると思っているか」が分かったりする。(もちろんある程度付いてなければダメだけど)
これは今までのマスメディアには殆ど無かった部分で(あるいはあったとしても殆ど「捏造」だった。雑誌や新聞の読者欄など)凄い重要な価値を持っているところだと思う。
で。
もしこれらのものが「みんな」に共有されているなら、もしくはそれが信じられているのなら、
情報の共有されている範囲=はてなユーザー
と逆説的に表現することも可能なのではないかと思う。
いずれにせよ。
このはてな共同体の構成員が共有するべき、あるいは知っておくべき情報は個々のブックマーカー、つまりは「(市民)ジャーナリスト」によって格付けされている、という「かたち」になっているわけである。
(それとたくさんブクマされる記事の質が高いとは限らない、とよく言われるのだけど評価軸は多分そこではない。多くブクマされる記事には「共有しておくべき情報」という意味合いの方が強いのだと思う。そしてそれは必ずしも質の高さを意味するわけではない)






【取材の可能性】
つい最近はてなブックマーク投げ銭システムが実装された。
はてなの投げ銭システムについて色々考えてみた - ぶろしき
オレもここから5回分書いたのだけどこれが非常に重要な可能性を持っている事に気付いた。
ブログ作者に投げ銭を - jkondoのはてなブログ

ひとつの答えが、「読んでから課金をする」というモデルだと思います。文章を読んで、その文章には10円の価値があると思ったら作者に10円を支払う。そういう事は不可能ではないはずです。

これに最初は騙されたwのだけどどうやらこれは投げ銭システムの可能性の半分でしかないようである。
ホントはもう一つ「集めてから出す」という重要な可能性もこの投げ銭システムは秘めている。
例えばある企画とそれに掛かる経費を記事としてUPする。それに強い興味を持つ人がたくさんいて経費の分が集まれば「集めてから出す」事が出来る。たくさんの読者を抱えていてなおかつある程度以上の信頼が担保されているような有力ブロガー、ならこれが可能ではないだろうか。あるいははてなにそういう企画の集まる場所を作るのもいい。読み手はそこを見て面白そうな企画に投資する、という感じ。むしろこっちの方が色んな意味でいいと思うが・・・
いずれにせよこれによって「取材の可能性」は開かれた、と考えていいのではないかと思うのである。
「取材がなければジャーナリズムとは言えない」とはお金にならなければダメ、という事でもあると思うがネット上ではタダでもやる人はたくさんいる。だがマイナスになる事をやるのは流石に難しい。もしお金が掛かるから出来なかった事、ができるようになれば全体のコンテンツの質もかなり向上するのではないだろうか。
ひょっとするともう既に「ブログには取材がないからジャーナリズムとは言えない」とは言えない・・・のかもしれない。







というわけで以上が「はてなブックマークは(市民)参加型ジャーナリズムである」とオレが考えてる理由です。
ここで改めて一番最初の記事の湯川さんへの松岡さんの突っ込み「質を問うことと誰もが平等に参加できる事の矛盾」に答えたいです。要するに

  • 誰もが参加できるジャーナリズムとはソーシャルブックマークの事である。そこでは基本的には誰もが平等に一票の影響力を持つ事ができる。だが「たくさんブックマークされる記事」やそれを書く人は極わずか。そこでは当然にして質が問われる。

という事。(まぁ質が高いから多くブクマされるわけではないのだけど)
これで何の矛盾もないと思うのだけどどうだろうか。
更に言うとはてなブックマークという「参加型ジャーナリズム」の成立は同時に全てのブログ、ブロガーを(市民)記者化する。好むと好まざるとにかかわらず・・・という事でもある。


(え〜ここまでの(1)(2)で一先ず本論は終わりです。一気に読んでくれた人はお疲れ様でした。下に(3)が続いてしまうわけですですけど一気に読むのは大変だと思うんでまたヒマな時に読んでください〜。)