ソーシャルブックマークこそが(市民)参加型ジャーナリズムである論
というのを唱えてみようと思います。
事の発端はちょっと前にあった『ブログ時評』の団藤さんと『ネットは新聞を殺すのか』の湯川さんの間の論争。
- ブログ時評:市民記者サイトは高い敷居を持つべし
- ネットは新聞を殺すのか:第3の市民記者新聞
- ブログ時評:市民によるブログ運動に二つの方向
- ネットは新聞を殺すのか:団藤さんの「ネットジャーナリズム」とわたしの「参加型ジャーナリズム」
- 2つの市民ジャーナリズム論 - 山川草一郎ブログ
ざっくり言えば「新しい参加型ジャーナリズムは質か量か」というような話でその後も色々な人がこれについて語っているのだけどお勧めなのが、というかぜひ読んで欲しいのが『すちゃらかな日常』の松岡さんの
◆質を問わない「参加型ジャーナリズム」って意味あるの? - すちゃらかな日常 松岡美樹
こちらの記事。この中で湯川さんの想定している参加型ジャーナリズムにある矛盾「質を問う事と誰もが参加できなければならないという平等主義の間の矛盾」が指摘されている。
で要するにこの矛盾について考えていて思いついたのがタイトルのような話になるのだけど今回ちょっと3回分一気に書いてしまいました。ので長いです。以下
(1)「ジャーナリズム」の定義
(2)はてなブックマークは(市民)参加型ジャーナリズムである
(3)「庶民」による江戸時代型ジャーナリズムの過去、もしくは未来
という構成になってますんで覚悟して読んでくださいw
※
http://column.chbox.jp/home/jienology/archives/blog/main/2005/08/09_135824.html
ちなみにウェブログ図書館で論争の流れを見やすく機能によってまとめられているので、詳しく知りたい人にはこちらがお勧めです。